フェアリーからそこにある確かな存在へ Vol.1
今回は私seikacatの宝塚との関わりの記録を記しておきます。
現在の心境まで思いつくまま書いたらダラダラと長くなってしまったので何記事かに分けます。
初めて私が宝塚歌劇に触れたのは、全国ツアーでの真矢みきさん率いる花組公演でした。
(1996年「エデンの東」ショー「ダンディズム!」)
一度観てみたら面白いのかなという興味から、同級生と一緒に。
(ちなみにうちの地元のバーのママさんが当時安寿ミラさんの会だったとかでチケットをくれたそうです。)
幼かったこともあり主人公の心情に共感も出来ず、ただまあなんとも暗いお話でショーも色の洪水だなあとか感想を抱きつつそのまま友人とともにふーんと帰宅した覚えがあります。
全国ツアーにおける宝塚との最も一般的な(そして潜在的には実はもっとも多いと思われる)出会いだったといえるかもしれません。
今思うと宝塚歌劇という大きなイメージの円。
その円の中にはさらにある一定の決まり事や脈絡の系図があるのですが、そのことをよく理解しないまま漠然と観劇しても観る側にはその良さは完全には届かないということだったのかもしれません。
(この公演なら歴戦のヅカオタなら理解できるはずな谷先生の男役に課す青春期の苦悩と死の結びつきの文脈、岡田先生のカラフルで平穏なるプログラムなど)
芝居でもショーでも演出家の志向が好きだったり逆に苦手だったり、その時代の組のカラーやその時の得意な分野や推し出したいものをこちらが観る気がなければもうそれは届かない。
…などということは宝塚に本格的にハマって数年ほどしてからやっと思い至ったのでした。
私の宝塚ファーストコンタクトはそんな感じで、友達と週末映画を観たのと似た感覚の思い出となって終わったのでしたが。
もうひとつ。
そのはじめて宝塚を観た地元の劇場で驚いたことがありました。
知り合いや同級生、そしてそのお母様とみられる家族をとても多く見かけたことです。
みんな宝塚が好きだなんて微塵も他人には話していたことはなかったのに、本当に楽しそうに観劇していたことでした。
現在よりも宝塚を観劇するというのは、女性が女性のエンターテイナーに夢中になるのは社会的心理的なハードルが、現在より少し高かった時代。
「推し」や「萌え」という感情を表す言葉はまだなく、(タカラジェンヌに「萌え」なんて言葉を使っていいの?という疑問がネットに書かれていたこともありました。2000年代初期頃)
観劇自体は内容を忘れてしまうほどでしたが、その日から「それほど他人には秘密にしていて、でも脈々と好きになり続けることのできる宝塚歌劇とはなんなんだろう?」という疑問が私から離れなくなりました。
その疑問と後年宝塚を好きになってからも尽きることなく出てくる興味が今のこのブログを始めた原点であると言えるかもしれません。
ハマった!素敵!💕ではなく私にとって宝塚との出会いはそんな感じでした。
そんな私が宝塚を生で大劇場で観たい!!観るのだどうしても!となるのはそれから11年後の2007年。
宙組公演「NEVER SAY GOOD BYE」のNHKBS放送を観た時でした。
この時も誰が凄い格好良い、ではなくただただ圧倒的なコーラスと当時小池修一郎先生の得意としていたシンプルながら歴史上滅びゆく者への思い入れが溢れるストーリー作り。
それと初めて触れたワイルドホーン氏の音楽の融合に痺れたからでした。
私が宝塚歌劇に求めていたのは、恋でも戦争でもこの世界は生きるに値すると思わせてくれるような目標に向かう人々の物語。
そしてそれに相応しい美しい音楽と踊りの組み合わせだったのかもしれません。
しかしそんな私が最初に訪れたのは大劇場ではなく実はバウホールでした。
続きます。
普段のブログ
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