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女郎と乞食

サントス港

ブラジルとのウェブ会議は今月も情熱に溢れていました。

様々な宗教を持つ、様々な人種が暮らす、日本から最も遠く離れた国。

だからこそ、仏教の普遍的な思想が注目を集め、日系人だけではなく今や多くのブラジル人が信仰、修養しています。

世界の調和と、復興を、共存と、繁栄のためにー。

ブラジルで奮闘しているブラジル人の僧侶を、私は心から尊敬しています。

たどたどしい日本語、しかも冷凍保存されたような日本語を使うので、ドキッとすることもあります。

たとえば繁華街では巧みに客引きする女性がいて事件に巻き込まれる人も多いのですが、「気を付けてください。あの人は女郎さんですから」と言われたりします。「お女郎さん」という言葉など時代劇でしか聞いたことがないので驚きます。

そして、真面目な顔で言われたことで今でも忘れられないのが「長松御導師、僕たちは乞食ですよね?」という言葉です。「乞食」というのも坊主ワードですが、現代では差別用語に近い印象があります(実際は違います)。

「長松御導師、僕たちは乞食ですよね?乞食でいいんですよね?」

僧侶たるものは勘違いするな、布施と供養で生きていることを。本当に、収入の少ない中で奮闘する彼の言葉は重みがあります。本当に、そのとおりです。

妙深寺も皆さまからの御有志で成り立っており、私の生活も妙深寺の御講奉修によるお布施とご供養が収入であり、ミュージアムの館長をしていようと、米国教区の教区長であろうとどんな団体の理事をしようと全て無償で、ラジオも収入はいらないとお断りしており、その他の収入はありません。

全僧侶が給料制、住職のお手当も23年間据え置き。25年近く税務署の入っていないのはこうした理由だと思います。

もう少し御有志いただければもっと幅広くご奉公できるのに、と思いながらも、それぞれの志、お恵みの中で生きているのだから、高望みすることは出来ません。

ですから、ブラジルの御講師が言われた「長松御導師、僕たちは乞食ですよね?乞食でいいんですよね?」という言葉がしみじみと分かります。もし御有志があったとしても、もっと貧しい方や貧しい国や本堂の修復などに充てる。ずっとこの状態でいいのだと思います。

1908年(明治41)4月28日、神戸を出港した笠戸丸は海路ブラジルへと向かいました。第1回契約移民781名。その中に若き本門佛立宗の僧侶、21才の茨木現樹(後のブラジル仏教初祖・日水上人)が乗船していました。

6月18日朝、笠戸丸はサントス港第14埠頭に接岸。この日をブラジルでは「日本人移民の日」、日本では「海外移住の日」として記念しています。

日水上人はブラジルで「パドロエイロ」の称号を与えられた唯一の仏教の僧侶です。カトリックの世界ではあり得ない快挙です。

ブラジルから学ぶことがたくさんあります。僧侶ですから、乞食であることの自覚も忘れてはならないと思っています。

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