第19回 東宝撮影所前の風景
現在では「東宝スタジオ」という名称になった東宝撮影所。1970年代、日本映画の製作・配給システムが大きく転換してからは、自社作品だけでなく、テレビ、CMも含む他社作品の撮影にステージを貸し出す‶レンタル・スタジオ〟へと変貌。純粋な東宝映画は滅多に作られず、正面玄関(メインゲート)も以前の裏門側に移って、今やそびえ立つ『七人の侍』と『ゴジラ』の巨大壁画のみがかつての栄華を示しているかのようです。
今回は、成城学園に子女を入学させたことで、自宅はおろか会社施設まで当地に移してしまった植村泰二の「P.C.L.=東宝撮影所」正門前の風景を深掘りしたいと思います。
正門があったのは、P.C.L.以来の第1&第2ステージ(今ではスーパーの駐車場と宅配業者の集配場となる)前の旧世田谷通り(かつての登戸道)沿い。現在の世田谷通りは1964年の東京五輪のときに作られたバイパス道で、それ以前は東宝正門前を通っていました。その名も「東宝前」という停留所があり、バスは渋谷~東宝前間を折り返し運転していたといいます。下の写真では、正門の横手に折り返し所と待合室があるのが分かります。
最盛期には年間60本以上の作品を送り出す撮影所でしたから、相当数のスタッフ・俳優が通い、所内には食堂(サロン)のほか床屋、靴屋なども設けられていました。三船敏郎はラーメンに辛子を入れて食べるのが好みで、遂にはカレーも載せるようになったそうです。それでも、食堂だけでは所員の胃袋を満たすことはできず、彼らには撮影所正門前にあったいくつかの飲食店が必要不可欠の存在でした。
この度筆者は、前成城自治会長の中川清史さんの計らいで、今でもこの旧正門横に暮らす(かつては菓子店「きくや」を営んでいた)春山さん母娘に当時の飲食店の様子を伺うことができました。
まず、正門の斜め前にあったのが「マコト」という喫茶室。真っ赤なマニキュアをしたハイカラなママがいる、今で言う〝カフェバー〟的なお店で、東宝俳優のたまり場になっていたといいます。現在の「毎日新聞」専売店、向かって左隣(駐車場になっている)に位置し、一軒おいた「大和衣装(のちの京都衣装)」の右隣には〝赤ちょうちん〟と呼ばれた飲み屋「増田屋」がありました。
こちらは東宝のスタッフが集う庶民的なお店で、春山さんが営む菓子店「きくや」と同じく、ツケで飲み食いができたとのこと。お店のほうでは、給料日になると撮影所にツケの回収に向かうのが常で、春山さんたちは所内にはフリーパス、試写も自由に(!)見られたそうです。なんと羨ましい環境でしょうか。
元東宝女優の桜井浩子さんは、「『ウルトラQ』などでロケに出る際は‶赤ちょうちん〟に弁当を注文していたが、円谷プロの予算が乏しかったためか、握り飯と漬物くらいしか出してもらえなかった」と、ぼやいておられました。
水道道路側には、かつて同じ「増田屋食堂」を名乗るおでん屋があり、ここの一室で『綴方教室』(38年:高峰秀子主演)の脚本を書いていた山本嘉次郎監督の命名で、店名が「つづりかた」に変わったというトリビア話もあります。
撮影所内を流れていた仙川の脇には「五井」という酒や味噌を売る商店があり、その隣には肉屋もありました。どちらの経営者も、成城ではその名をよく聞く石井さん。川に架かる橋は「石井戸橋」です。ちなみに、石井商店と石井戸橋の姿は、夏木陽介主演のテレビ・ドラマ『青春とはなんだ』(65〜66年:NTV)で確認することができます。
仙川も今のような護岸工事を施されたものではなく、小川のような規模だったとのこと。台風が来るとよく氾濫したのは、成城学園がある小田急線北側と同様です。旧世田谷通りを挟んで北と南には水車もあったそうですから、まるで『七人の侍』で見る光景ですね。
旧世田谷通りを北に上ると「紅葉家」という蕎麦店がありました。祖師谷通り(一時期、「東宝通り」と呼ばれた)との分岐点に位置する当店は、つい先頃まで存在していたので、ご記憶の方も多いことでしょう(現在は、狛江で営業中)。
ちなみに、春山さん(母)のご主人・順一氏は撮影所で大道具を担当した、れっきとした東宝社員。稲垣浩監督の時代劇、『七人の侍』(54年)や『椿三十郎』(62年)といった黒澤映画のセットを担っただけでなく、戦記映画『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(60年)では、戦中に「中島飛行機」で働いた腕を生かして、ゼロ戦や空母まで造り上げています。
以前紹介した『生きる』(52年)の撮影所前セット(胃癌を自覚した志村喬が、伊藤雄之助の小説家と出会う居酒屋「ひさご」)も、春山邸の横手(上掲1961年の写真左手)に組んだものとのこと。ご自宅をセットにしてしまった方など、春山順一さん以外、まずいらっしゃらないでしょう。
お母様(順一氏の奥様)は戦後すぐの東宝争議(組合が起こした労働争議)の折、旧世田谷通りを米軍のシャーマン戦車が下ってきたことと、撮影所内の煙突に某俳優(共産党員ではない)がよじ登って‶垂れ幕〟を掲げた事件を鮮明に覚えているそうですので、まさに東宝撮影所に関する〝生き字引〟。今度は、撮影所内部の詳細について伺わねばなりません。
参考:『生きる』が登場する記事
※『砧』826号(2022年2月発行)より転載(加筆の上、写真・MAPを追加)