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マイナーで、マニアックな保険会計に潜む重大な会計問題

1. 会計学という「学問」

 「お会計、お願いします」という表現に代表されるように、会計という言葉はお金に何か関係するものと一般的に思われています。確かに、会計はお金に関連する事柄ではあるのですが、このために、学生の中には「会計はお金を数えるだけできっとつまらないだろう」「そもそもお金を数えることが学問になるの?」という誤解をしている人も少なくないようです。会計は、英語でアカウンティング(Accounting)といい、accountは「説明する」という意味です。したがって、会計という用語の本質的な意味は、「説明すること」に求められます。

 企業会計で言えば、会計が説明する対象は、企業活動の実態についてです。そのため、企業は日々の取引内容を貨幣額で測定し、記録し、一年間(場合によっては半年、四半期ごと)の活動成果を財務諸表(企業にとっての成績表のようなもの)と呼ばれる報告書にまとめた後、企業への資金提供者達に向けて発信します。したがって、会計学は、この会計情報の作成方法に加えて、その作成ルールを支える考え方・基礎概念を学び、研究するのであって、単にお金を数えるだけの学問ではありません。

 このため、会計は企業活動を理解するうえでの「ビジネスの共通言語」と呼ばれ、その重要性を説明できます。そして、真の「共通言語」となるには、国ごとで異なる会計情報の作成ルールを国際的に統一すべきとの議論があります。実際、そのような統一化の試みは成功した例もあれば、失敗した例もあります。以下に取り上げる保険会計は、危うく失敗しかけた例となっています。

2. 会計学の中の保険会計

 会計学関連の通常の授業カリキュラムの中で、保険会計を取り上げることはほとんどありません。保険会計は保険会社のための会計なので、業界特有の処理が多々求められ、財務諸表の表示様式も一般事業会社とは大きく異なります。このため、保険会計は、一般事業会社には適用されることのない特殊なテーマであり、他の重要な項目の学習を優先するため、どうしても授業カリキュラムに組み込みにくく、そもそも、入門レベルの会計学のテキストは言うまでもなく、中級・上級レベルのテキストでさえ、保険会計を取り上げることはまずありません。

 授業では取り上げにくいものの、研究テーマとしてみた場合はどうでしょうか。日本で、保険会計を専攻する会計学者はごく少数です。海外でも同様に、保険会計を専攻する会計学者は少なく、保険会計をテーマとした論文が主要な会計ジャーナルで掲載されることも稀で、どちらかと言えば、保険・アクチュアリー系のジャーナルで取り上げられることが多いテーマです。

 私は、このような、マイナーで、マニアックな保険会計を研究対象としていますが、なぜ、保険会計を研究対象として選んだかというと、その大きな理由としては、保険会計を巡る議論の中に、企業会計のあり方・根源的な意義を問い直す会計問題が横たわっていると思われたからです。英国ロンドンを拠点とする国際会計基準審議会は、会計基準の国際的な統一化を目指し、国際会計基準の開発・公表を行っていますが、この基準策定プロジェクトの中には、保険会計基準の策定が含まれていました。この国際会計基準審議会による保険会計基準の策定作業の中で、企業会計のあり方を巡って、基準設定団体と市場関係者との重大な意見対立が生じていたのです。ここで、私の保険会計に関する研究の一部をご紹介します。

3. 国際的な保険会計基準の策定の意義

 前述のように、保険会計は業界特殊的な会計処理が求められていますが、それは日本に限ったことではありません。現行の企業会計は発生主義会計に基づいています。発生主義会計とは、経営活動の成果と努力を示す収益・費用の計算を、現金収支にとらわれることなく、経済的事象の発生に即して決定していくという考え方です。発生主義会計と対比される考え方が現金主義会計であり、これは、収益・費用の計算を現金収支に基づいて行うものです。例えば、クレジットカード取引など現金決済が後日となる商品販売の場合、現金主義会計では販売時に収益を計上しない一方、発生主義会計では収益を計上します。

 一般事業会社の会計は、もちろん発生主義会計に基づくものですが、伝統的な保険会計実務では、一部、現金主義的な処理が求められています。つまり、保険会社は、保険料収入時に一括して収益として計上しています。このため、契約期間が数年にわたるものであって、契約初年度に契約全期間に相当する保険料を一括収入する場合でも、受取時に全額を収益とするため、単年度の成果を測りにくい構造となっています。

 また、保険会社は、契約者より受領した保険料を、将来の保険金支払に備えるために責任準備金(保険負債)として積み立てますが、生命保険の場合、契約期間が数十年にわたることもあり、責任準備金の積立期間もそれだけ長期に及ぶことになります。にもかかわらず、現行実務のもとでは、保険料の算定(すなわち、責任準備金の算定)に用いる計算基礎率(予定死亡率、予定利率、予定事業率)は基本的に契約締結時のまま改訂されず、責任準備金は原価ベースで測定されます。このため、時間が経過するにつれ積み立て不足があるのかどうかといった状況が適時に明らかになりません。

 このような保険会計実務は、適正な期間業績や財政状態を伝えるものではないと批判されてきました。このため、国際会計基準審議会の前身である国際会計基準委員会は、保険業が国際化の進む業界でありながら、国際的に統一された会計ルールが存在せず、また、既存の保険会計実務が「ブラックボックス状態」であることを問題視し、国際会計基準の策定プロジェクトの一項目として保険会計を追加しました。

4. 混迷する保険会計基準の策定作業

 そして、国際会計基準委員会は、保険会計基準開発の足掛かりとして論点書を公表しました。論点書は、保険会計の策定に関連する諸論点を整理・分析したもので、それぞれの論点に対する国際会計基準委員会の暫定的な見解も示されていました。そこで示された見解は、これまでの会計実務を全否定し、新たな会計モデルを構築しようとするものだったのです。

 すなわち、現行の会計実務では、責任準備金の測定値が最新の情報を反映していないため、その測定は客観的な方法で行うべきだとして、論点書では、市場整合的な測定方法を採用することを提案しました。具体的には、保険会計に対して、公正価値モデル(資産・負債の公正価値の評価から利益を算出する会計モデル)を適用することが提案されました。

 公正価値は、理念的には活発な取引市場で決まる測定日時点の資産・負債の移転価格、つまり、資産でいえば「今売却したらいくら受け取れるか」、負債でいえば「今誰かに引き受けてもらうにはいくら支払うか」という金額です。公正価値のような市場価格を参照すれば、客観的で、かつ最新のストック情報(とくに、積み立て不足に関する情報)を提供することができ、保険会計の「ブラックボックス状態」の解消が期待できます。しかし、保険契約には活発な取引市場はなく、また、保険会社は、再保険(保険会社が別の保険会社と結ぶ保険契約)を通じて、自己の負担する保険責任を再保険会社へ移転することはありますが、それは保険責任の全部ではなく一部であって、しかも保険会社間の相対取引ですので、再保険市場から公正価値を観察することは困難といえます。そもそも、保険会社は、契約者から引き受けた保険契約を他社に安価で移転して「利ザヤ」を稼ぐというようなビジネスモデルではなく、契約を履行することを予定しています。

 保険会計に対する公正価値モデルの適用は賛否両論でしたが、国際会計基準委員会の「公正価値モデルを適用する」という方針は、後身の国際会計基準審議会に引き継がれました。しかし、公正価値モデルに対する懸念を払拭する解決策を提示できることなく、基準策定作業は長期化の道を進むこととなったのです。

 国際会計基準審議会も責任準備金の測定モデルとして公正価値モデルを提案しましたが、市場関係者は反対しました。公正価値モデルの問題点として特に批判の的となったのが、責任準備金を公正価値測定する際に、負債の発行体(保険会社)の信用リスクの影響を反映させる点でした。公正価値は、以下の計算式のように、測定対象項目から生み出される(市場整合的に見積もった)将来キャッシュフローを、割引率(将来の価値を現在の価値に直すために用いる利率)で割引く(これを割引現在価値計算といいます。)ことにより算定されますが、割引率の決定要素に発行体の信用リスクを含めることが常です。

図

 このため、発行体の信用リスクの変動を反映する形で責任準備金を公正価値測定すると、発行体の信用リスクが高まった(発行体の信用状態が悪化した)際に割引率が上昇し、負債の公正価値が下がる(負債が減額する)形で、負債の再評価益(債務免除益のようなもの)が生じます。発行体の信用状態が悪化したにもかかわらず、利益が認識されるという直観に反する状況は「負債のパラドクス」と呼ばれており、実際、2009年の金融危機の際に、Citigroupなどの米国大手金融機関が巨額の負債評価益を計上し、赤字転落を免れたことが批判されました。

 また、信用リスクの問題とは別に、公正価値モデルを適用した場合、契約締結時に、契約から生ずる権利(保険料などの契約から生ずる将来収入額の現在価値)と義務(保険金・給付金などの契約から生ずる将来支出額の現在価値)を公正価値測定し、それらの正味差額として、保険資産ないし保険負債を認識すると同時に、契約時利得・損失を計上することになります。保険会社が自身にとって不利な契約を結んでいなければ、通常は、権利額が義務額を上回り(つまり、将来生じる保険料総額が保険金総額を上回り)、その差額が利得として計上されます。すなわち、公正価値モデルのもとでは、契約を締結すれば、保険サービスを提供していないにもかかわらず、その時点で保険会社は利益を認識するのです。これもかなり違和感のある処理です。

 結局、国際会計基準審議会は、市場関係者からの大きな反対を抑えることはできず、責任準備金への公正価値モデルの適用を断念しました。ただ、責任準備金を毎期再測定する処理は残しつつ、市場整合的な変数を用いることにこだわらず、信用リスクの反映は禁止され、契約時利得が生じる場合にはその差額部分をマージン(安全割増)として繰り延べることとしました。このマージンは、契約期間にわたり保険サービスの提供パターンに沿って収益配分されます。

 公正価値モデルが提案され紛糾した保険会計基準の策定作業が収束したのは、当時、保険会計基準の策定作業よりいち早く基準化の目途が立っていた収益認識プロジェクトの考え方を取り入れたことが大きいといえます。国際会計基準審議会は、保険会計基準の策定プロジェクトと同時並行して、一般事業会社の収益認識会計基準の開発作業を行っていました。前述のマージンを毎期規則的に収益配分するという処理は、収益認識プロジェクトで提案された配分モデル(取引価格の期間配分より利益を算出するモデル)と整合的なものでした。

 国際的な保険会計基準は2017年に公表されましたが、会計基準の策定に四半世紀を要しました。プロジェクトが長期化したのは、基準設定主体である国際会計基準審議会と市場関係者との間で、保険会計のあり方を巡って重大な意見対立があったためです。

 国際会計基準審議会は、保険契約を金融商品の一種とみなしており、デリバティブ取引と同様に、その契約上の権利と義務の価値を測定するアプローチ、すなわち公正価値モデルを支持しました。

 一方、市場関係者の多くは、契約の履行状況を捕捉・伝達することを保険会計に期待しているといえます。そして、このような情報ニーズを満たす会計手続は、伝統的な会計手続と大きく違わないものでした。伝統的な利益計算を支える考え方として、実現概念および費用収益の対応概念があります。これらの概念の解釈は時代の流れとともに変遷があり一様ではありませんが、財やサービスの流れに即して収益・費用を認識するアプローチであることに変わりはありません。保険会計でも「契約の獲得」ではなく「契約の履行」に焦点を当てて、保険会社が実際に行った活動を追跡し、その成果を報告するものとして基準化されており、伝統的な考え方を踏襲したものといえます。企業会計を支える基礎概念の変わらぬ存在意義が、保険会計を巡る議論の中でも再確認できたといえるでしょう。

5. マイナーであっても意見発信を

 ところで、保険会計基準策定プロジェクト発足当時の国際会計基準委員会は、金融商品会計のみならず、あまねく会計手続に対して公正価値モデルを導入することを目指していました。この方針は国際会計基準審議会にも引き継がれたのですが、結局、金融商品会計基準でさえ、全面的な公正価値モデルの導入には至っていません。その中で、公正価値モデルから配分モデルへの転換が遅れたのが保険会計のプロジェクトでした。

 国際会計基準審議会が保険会計への公正価値モデルの導入に固執したのは、他のプロジェクトで公正価値モデルの導入が頓挫していく中で、保険会計を公正価値モデルで基準化できた暁には、他の会計手続でも改めて公正価値モデルの導入を俎上に載せることを画策していたためでもあります。保険業の周辺制度では、ソルベンシー規制(保険金支払が適切に行えるように、監督当局が保険会社に対して監督を行うための規制)の中で責任準備金の経済価値測定が適用されていたため、公正価値モデルを導入する土壌は保険会計が一番整っていたのでしょう。その後、国際会計基準審議会のメンバーは入れ替わり、基準策定の方針も変わったと思われますが、当時のような考え方を持つメンバーが基準設定主体の中で多数派となれば、同様の事態がいつ起こるかも分かりません。

 保険会計をはじめ多くの基準策定プロジェクトで公正価値モデルの導入は頓挫しましたが、農業会計では公正価値モデルが導入されました。しかし実際、国際会計基準を強制適用した農業・畜産業を主要産業とする開発途上国においては、農作物・家畜の出荷前にその公正価値の変動が利益認識される問題、それらの公正価値の見積り問題などが生じているそうです(このような問題に対処するため、近年、農業会計の基準も修正が施されました)。農業会計も保険会計と同様、マイナーで、マニアックな会計テーマで、基準策定時それほど関心が高くなかったためか、基準設定主体側の意見がそのまま通過してしまったようです。

 会計に限らずすべての学問・事柄にいえることですが、マイナーな問題だと高を括っていると、それがいつ大きな問題になるかもしれません。地味で興味を引かない問題でも着眼点を変えることで、研究し甲斐のある重要なテーマに代わることは多々あります。このことを頭の片隅にとどめつつ、多くの方が、会計学、また保険会計に興味を持ってくれることを願っています。

執筆者プロフィール
羽根 佳祐 | Keisuke Hane
経済学部 経営学科 准教授
専門分野:規範的会計研究

※この文章は成城大学ウェブサイトより転載しています。

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