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能率からスマートへ?

1. はじめに—「スマート」な社会

 スマートフォンのことを、なぜわたしたちはスマートと呼ぶのでしょうか。日本語に定着した「スマート」という言葉は、スタイルがよいことをさす一方で、スリムであることも意味します。確かにスマートフォンは格好いいのですが、お値段はかさみ、あまり「スマート」ではない気もします。とはいえ、この使用料を高く感じないかもしれません。それを持っていれば、一台で、インターネットに接続し、メールやLINEで連絡がとれ、写真や動画も撮ることができ、望めばゲームから動画視聴、写真加工、映像編集まで出来、さらには電子マネーによる決済まで可能なのですから。

 こう不思議に思ってみると、いつのまにやら、世の中には「スマート」という言葉があふれていることに気づきます。「スマートシティ」、「スマートグリッド」、「スマートハウス」といった言葉がありますし、広告表現では、「スマ婚」とか「スマ保」といったネーミングが使われています。なぜにこんなに世の中には「スマート」があふれているのでしょうか。そしてなぜ、わたしたちはかくも「スマート」にひきつけられるのでしょうか。

 このような「スマート」という言葉の流行は、ミドルクラスと呼ばれる人びとの拡大と、彼らを担い手とした「能率」の探究という歴史の中に位置づけて考えることができるのではないでしょうか。

2. 「文化」の時代—第一次大戦後の日本社会

 いまから約100年前の第一次大戦後、日本社会は大きく変容しました。戦争への直接的な関与は限られたものでしたが、輸出の振興を通じて日本社会は急速な産業化、近代化を成し遂げ、都市を中心に新しいライフスタイルが登場します。大学改革がなされ、それまで数千人であった大学生の数が増大します。また、この時期に俸給生活者と呼ばれる人びとの社会運動が活発になっていきます。これらの人びとがミドルクラスと呼ばれる社会層を形成します。

 同時期、流行語のように語れたのが「文化」でした。巷に「文化鍋」や「文化住宅」といった「文化」を冠した商品が登場するだけでなく、哲学者たちは「文化主義」を訴え、吉野作造・有島武郎・森本厚吉らは「文化生活」を唱えます。

 このときの「文化」とは何だったのでしょうか。「文化住宅」とは、「大正期に生活改善運動が展開されるなかで、とりわけ強い洋風化志向を背景として出現した住宅」であり、洋間の応接室と畳部屋の混在によって特徴づけられます。このように、このときの「文化」は西洋からやってくるなにか新しいものを意味し、それはしばしば日本的なものや伝統的なものとは対比されるものでした。このなかで新しいライフスタイルを訴えたのが先ほど述べた「文化生活」の運動です。森本厚吉は1921年6月に創刊された雑誌『文化生活』のなかで、「新日本の模範階級であり、又国家の中堅であるべき中流階級」は、「ブルジョア階級とプロレタリア階級の中間にたちて如何なる社会運動を起さねばならぬか」と、ミドルクラスの人びとに語りかけます。そして、「能率の高い新進の経済生活を営み得るようにしなければならぬ」と説きます。これはなかなかに興味深いことばです。なぜなら森本にとっての「文化生活」とは「能率的な生活」のことであり、「能率的」なことが「文化的」であるとされていたからです。

 では、なぜ「文化」が「能率的」なのでしょうか。「文化包丁」という名称を考えてみましょう。これは現在も私たちが普段の生活で使っているタイプの包丁をさし、万能包丁や三得包丁などとも呼ばれます。それまでの和包丁は、肉・魚・野菜と対象に応じて包丁を使い分けます。ですが、文化包丁はそのいずれにも使用することができるのです。従来、複数必要であったものが一つですむ。この無駄を省いて最大の効果を生み出すものが、「能率」の意味であり、「文化」の意味の一つであったのです。「能率」という概念は、アメリカを中心とした科学的、合理的な新しいものの考え方を導入するなかで語られた言葉でした。1920年代、「文化」には、新しいもの、洋風なものという意味だけにとどまらず、能率的なものという意味があったのでした。

3. モダン・ライフと能率

 このような「文化」の拡大と、その担い手・消費者となる都市のミドルクラスの拡大とは、大衆社会化と呼ばれる現象の一部であります。これらは日本においては第一次大戦後の1920年代、都市を中心に進行していく事態でした。たとえば1928年に前田一の『サラリマン物語』が出版され、雑誌『サラリーマン』が「中堅階級の経済雑誌」をうたって創刊されるように、「サラリーマン」という語は、時代の流行語のひとつとなります。また、都市には「モダンガール」と呼ばれる洋装の女性たちが現れます。関東大震災後、同潤会アパートに代表される鉄筋コンクリートの集合住宅が登場し、1927年には上野‐浅草間に地下鉄が開通します。1925年にラジオ放送が始まり、1926年には改造社から『現代日本文学全集』が刊行され、円本と呼ばれます。そして1927年には、岩波書店が円本の販売戦略を批判しながら、「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である」と記した「読書子に寄す」をかかげ、岩波文庫が創刊されます。大衆社会とは大量生産の時代でもあります。ラジオや文庫は、大量生産を通じて、知識や娯楽を安価で人びとに提供し、その意味においてマスコミュニケーションの先駆けであったといえます。

 では、あの「文化生活」はどうなったのでしょうか。昭和恐慌と呼ばれる厳しい時代がやってきます。そのさなかの1930年に、大宅壮一は『モダン層とモダン相』のなかで、皮肉たっぷりに、都市の新中間層のことを「有識無産階級」と呼んでいます。「同質同量の知識の大量生産」が、「知識」の価値の暴落を引き起こします。失業と隣り合わせのサラリーマンたちに、「文化生活」を営む余裕は失われたように思えます。ですが、角度を変えてみれば、不況のさなか「文化生活」はかたちを変えて存続しています。サラリーマンたちは「感覚的満足を目的とする一種の消費経済」としての「モダン・ライフ」にむかうのですが、大宅によれば、「モダン・ライフ」とは、「消費生活の「合理化」」であり、「享楽生活の「能率」化」であるとされます。生活の能率化の理想は、より安価で、より楽しいという消費生活に向けられていくのです。

4. 現在の私たちの生の様式

 このような戦前の「文化」と「能率」の展開を見ていくとき、現在の私たちの「スマート」な生活が、そこからどれだけ離れているのかという問いが浮かびます。「スマート」は「賢い」を意味するものであり、それは新しく発達した高度な情報技術を利用するものです。「スマートハウス」や「スマートシティ」は、無駄のなく効率的な資源の配分をめざしますし、「スマ婚」や「スマ保」といった商品が喚起するのは、無駄のなく効率的なお金の使い方です。

 このことは実は「スマートフォン」ということばにもあてはまります。アイフォンが発表される以前にも「スマートフォン」という言葉は使用されており、それは「キーボードつきの多機能携帯」をさすものでした。おもにビジネス用に普及し、ディスプレイのしたに細かなボタンが密集するデザインで、現在の「スマート」という感覚からするとやや洗練に欠く印象をうけます。ですが、この携帯は「多機能」であることで、スマートなのです。それは、携帯電話、インターネット、メーラー、PC、カメラ、携帯とさまざまな機能を集約するものです。そして、いままでそれぞれにかけていた費用を、一つに集約するものです。スマートフォンをもっていれば、他はいらないというわけです。

 もしかしたら私たちは1920年代のミドルクラスたちの後継者なのかもしれません。なぜなら、依然として「能率的な生活」を追い求めているのですから。とはいえ、そこには断絶もあります。現在の「スマート」は非常に高度な情報技術を組み込んだものです。このような情報技術は今までにない生活の制御・管理を可能にしていきます。無駄なく能率的に生きようとすれば、かなり徹底することができます。無駄なく能率的にというと、多くの学生さんの単位取得の基本的な態度のようです。講義などでは、彼らを前にして、無駄なことも大切必要と説きますが、実のところ自分自身もまた能率に魅せられている瞬間があることは否定できません。私自身、限りある時間と資金(サラリー)のなかで、計画、予測、シミュレーションして日々の生活を営んでいます。

 このような私たちの生のあり方は、いったい何なのでしょうか。私自身の現在の問題関心はここにあります。戦前の能率は、それ以後どのように展開し、情報技術の高度化と関わり、現在の「スマート」まで至ったのか。私たちの生を制御したいという欲望、この来歴と現在について、考えていければと思っております。

執筆者プロフィール
新倉 貴仁 | Takahito Niikura

文芸学部 マスコミュニケーション学科 准教授
文学研究科 コミュニケーション学専攻 准教授
専門分野:社会学、メディア論

※この文章は成城大学ウェブサイトより転載しています。


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