ダイエットコークは人々の祈りの具現化

ダイエットコークどう思いますか。


「どう思いますかって言われても・・・」と困らせてしまったのならすまない。朝ごはんを食べたのちに散歩をしていたら、ふとダイエットコークが頭に降りてきたものだからつい口に出してしまった。

私の周りではダイエットコークに対して否定的な意見が多い。「往生際が悪い」「こんなもので誤魔化してもコーラ欲は満たされない」概ねまとめると「コーラが飲みたいという真っ直ぐな欲に対して代替品でなんとか対処しようとする狡賢さが良くない。」ということらしい。

私も全く同じ意見を持っており、彼らのことをギャンブルでちまちましか張らない小心者と同じ括りで扱っていた。以前は。前の話ね。しかし、ダイエットコークを必要とする側に立った時、そのありがたみを知ってしまったんだなぁ。


以前本気でダイエットをしたことがある。飲み物は水しか飲まず、昼には小袋に分けたアーモンドの数粒をかじり、夜はサラダとサラダチキンで腹を満たし、外が暗くなれば短パンを履き夜道を駆ける。摂取カロリーと消費カロリーを計算し、数字で1日を管理する。

私の最優先事項はカロリー、数字である。

お菓子を食べたいと思う時もある。コンビニで手にとる。しかし、その裏の数字が私の顔を曇らせる。そっと棚に戻す。数字が私から食欲を奪う。

たまの機会に甘いものを口にしても心の中は混沌としたままだ。カロリーが気になって味がわからない。罪悪感が脳を埋め尽くす。300kcal、ランニング一回分のカロリーだ。いつの間にか食べる楽しみはカロリーの奴隷となっていた。

たまに無性にコーラが飲みたくなる時がある。でも手には取れない。どうせ飲んでも良くわからないから。

私は業人なのか?私の舌が罪で塗れているからコーラを楽しむことができないのか?ちょっと体重を減らしたい、そんなささやかな望みを抱くことすら許されないのか?

そんな私に唯一語りかけるものがあった。その救世主はセブンイレブンの飲料棚に静かに座っておられた。奇しくもコーラと同じ形をしていた。「大丈夫。あなたの罪は許されました」


ダイエットコークは私たちの祈りから生まれた救世主だ。

私たちはもはやコーラを飲みたいなどという欲深い願いは持っていない。ただコーラっぽいものがあればそれでいいのだ。似たようなものがあればそれをコーラだと思い込んで一生懸命縋っていく。

例えば、目の前である夫婦が交通事故に遭ったとする。夫は即死、残る妻も明らかに長くない。妻は息絶え絶えに聞く。「夫は大丈夫でしょうか・・・?」

「大丈夫です。一足先に救急車で運ばれましたが大事には至らないでしょう。」


ダイエットコークとはこの言葉のようなものだと、私は思う。人々の束ねた祈りが形を成したもの。救いの具現化。

私はもうすでにダイエットからは遠かったが、今でもダイエットコークをコンビニで見かけるたびに「救いが置いてあんなー」と思う。


(初用時間31ふん)

頂いたお金でグミを買います。グミを食べると人に優しくなれます。私を優しい人間にしてくれてありがとうございます。