寂しさと孤独
(最後にちょっとした解説を加えました。わかりにくい場合はお読みください。)
ヒョウ: あんたはなぜこんな場所に1匹でいる?
ヌー: ここで仲間を待っているのさ。
ヒ: ヌーが単独行動とは珍しいじゃないか。
ヌ: そうかな?実のところ、ここで草を食べていた間に仲間がどこかへ移動しちまったのさ。もうかれこれ20日も前かな。
ヒ: なんと!、20日もここで仲間を待っているってのかい?
ヌ: ああ、このあたりは通り道のはずだからな。いつかは探してもらえるはずさ。
ヒ: おまえは仲間に探してもらえるまでここで何もせずに待っていると言うのか?
ヌ: ああ、自分で仲間を探し歩いても道に迷うだけだ。
ヒ: おまえはそれで良いのか?
ヌ: ああ、そうさ。仕方ないだろう。歩き回る時には仲間がいないと無理だ。ところで、あんたも1匹だけなのか?
ヒ: そうだ。俺はいつでも自分だけで行動する事にしている。
ヌ: 孤独を感じないのか?
ヒ: もちろん感じるさ。
ヌ: では俺と同じだな。今の俺はとても孤独だ。
ヒ: フンッ、笑わせるな!俺から見れば、おまえは大事な事を勘違いしている。おまえのは孤独じゃなくて単に寂しいだけだ。
ヌ: それなら聞くが、おまえの孤独と俺のは何が違う?
ヒ: 答えてやろう。おまえは仲間とはぐれて何もしていない。誰かが助けに来ないかと待っているだけだ。つまり、おまえは自分で何も決めていないし、何も行動を起こしていない。俺は自分自身で決めてここに辿り着いた。自分で風の臭いを嗅ぎ、自分で太陽の動きを確かめて行くべき方向を決めた。俺もおまえもどちらも1匹でいるが、意味は全く違う。
ヌ: それはそうかも知れないが、では俺に何ができると言うのだ?俺がおまえと同じようにして自分自身で行く方向を選んで歩いたところでそこに食える草が生えている保証は無い。仲間と再会できるかどうかもわからない。だが、ここは、少なくとも一度は俺の仲間が通った場所だ。全く知らない場所へ行くよりも希望はあるはずだ。
ヒ: はっはっは、おまえ、ここで何も決めず、何も行動せずに死ぬのと、自分自身で決めて行動して死ぬのとどちらが良い?
ヌ: 死ぬのは同じだ。
ヒ: では質問の仕方を変えよう。行動せずに死ぬのと、行動して死ぬのではどちらが後悔せずに死ねる?
ヌ: ・・・
ヒ: わかったか? おまえには孤独などと言う資格は無いのだ。俺にも仲間はいるが、俺の思考は仲間の誰の思考からも独立している。だから俺は、仲間の意見と違ったり対立していたりしても、常に自分自身で決めた方を選び、その結果も自分自身で引き受ける。獲物がいない場所に迷い込んだら餓死しちまうが、それも仕方ない。自分で決めた事だからな。孤独というのはそういうもののはずだ。
ヌ: そうか、そして今、おまえは獲物を見つけたというわけなんだな?
ヒ: そうだ。残念ながらおまえは、最後にこうして死ぬ事すら選べなかったのだ。
<ちょっとした解説>
ムーミンのお話を語る中で、「孤独」はキーワードとして言われます。ではそもそも孤独とは何なのでしょうか? ムーミンの中で孤独に最も近い言葉として使われるのは「自由」ではないかと感じます。ですが、一般に孤独と言いますと、それは他の人との交流ができない事や近くにいられない悲しみの事を言う場合が多いように思います。つまり寂しいとの境目が曖昧です。
ムーミンでは孤独や自由と、他の誰かと会えない悲しみ、寂しさは同じレベルで扱われてはおらず、層をなしている別のレイヤーの事のように書かれていると読めます。
スナフキンとムーミントロールに関しては(他の登場人物でもそうですが)、個々の考えは他の者の影響をほとんど受けません。悪い言い方をすれば全員が自分勝手にすら感じられます。それはどんな場合でもそうです。スニフとムーミントロールが一緒に行動していても個々の考えは完全に別々で、ほとんど関わらないままに一緒に行動しているようです。馴れ合いのようなものがありません。これが孤独を表しています。
そんな精神状態であるにも関わらず、会えない事による寂しさは存在します。スナフキンとムーミントロールはお互いに会えない事を悲しみます。つまり、個々に全く別々の気持ちや考えでいる精神の孤独とその事はまるで関係が無いのです。逆に一緒に同じ場所で過ごしている時には寂しさはありませんが孤独はそこに存在します。
寂しさと孤独は別のものだとわかります。
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