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Blue Villageでの幸せなじかんのこと

 心や直感に従って生きようとしていると、こちらに向かった方が良さそうだなとか、これはやったほうがいいやつだなという感覚につながれることがある。それが荒唐無稽なことだったり、それをやることの意味がまったくその時点ではわかっていないことなのだとしても。その感覚に寄り添いながら時の訪れと確信を待ち、実際に行動へとつなげていくことで、自分の想像を超えるような大きなうねりに迎え入れられることがある。その流れの中に身を任せていくことで、いるべき場所に適切なタイミングで自分がそこにいるという恵みを享受したり、そのときそのタイミングでつながるべきだったとしか思えないような存在たちと時空を共にすることが起きたりする。そんなシンクロニシティと呼ばれる恩恵に預かる機会を得ることは人生に彩りを加え、思いもよらなかった豊かさをもたらしてくれる。

 AIをはじめとしたテクノロジーがますます発展していくであろう時代を迎えているが、シンクロニシティへの扉を開いていく大きな流れの中に入っていくための”つながりのテクノロジー”の重要性も同時に高まっているのではなかろうか。改めて人間とはどのような存在なのかが問い直されている時代の中で、運命の巡り合わせの力でつながり協力していくことを大切にし、人間として成熟しながら関係性の豊かさの中で生きていきたいと思っている。

 前置きが長くなったけれど、SNSでの投稿を何気なく見かけたことから生まれ育った感覚を頼りに、洞爺湖湖畔にあるエコビレッジ Blue Village で2泊のリトリートをしに行ってきた。片道6時間程の道中で、その移動のスピードに心と体がついていっていないなと思った瞬間が何度かあったのだけれど、着いてすぐに立ち寄った洞爺湖で風と水と光を感じ、その場の質感を確かめるように吸い込んでいたら迎え入れられたような感覚が湧いてきて落ち着きはじめた。そして、今回の目的の地であるBlue Village に着くとすぐに心身がフィットするような感覚が内側から立ち上がってきて、さらに落ち着くことができた。

早朝に洞爺湖湖畔にて

 森の中のテントに独り泊まることになり、なぜか異国の荘厳な宗教施設前で行われていた美しく楽しいお祭りに参加しているという不思議な夢を見た。その夢から覚めているのか覚めていないのかがわからなくなるほど、さまざまな種類の鳥たちが織りなしていた早朝の歌声のハーモニーがとても美しくて、テントと寝袋にすでに包まれていた自分が何かさらにもう一枚のあたたかな膜に包まれていたような気がした。


 今思えば、滞在中を通じて幾重にも折り重なるあたたかさに包まれていた。Blue Village の中心をなす家族のつながりから溢れ出ていたあたたかさ、峻介さんの優しい心遣いに満ちたおもてなしのあたたかさ、その場に今まで訪れた人たちが残していったであろう気配からのあたたかさ、手作りされた小屋や構造物から滲み出てくるあたたかさ、その地で洞爺湖や温泉という顕れをしている大自然からのあたたかさなど。


ウポとポイ

 ここで時を過ごしたことで、また戻ってきたいと思える大切な場所が北の大地にできた。あたたかなパートナーシップや家族、コミュニティを希求している自分の中に「ああ、いいな」と思える一つの原風景としてBlue Village が存在しはじめていることをありがたく思っている。


洞爺湖パイセンからセッションを受けているの図(笑)

 かなさんの工夫と愛情が込められていた料理はどれもおいしかった。心と身体を良くする薬と言えば、薬局や病院を通して得られる何かが思い浮かびがちな現代社会であるけれど、もっとも見過ごされているパワフルな薬とは、新鮮な食材を使った滋養と愛情に溢れる薬膳料理なのだと思う。

美味

 二日目の午後に、今回の山場である豪佑さんと峻介さんをガイドとする内面を旅するセッションは行われた。

 僕の師匠の一人であり、周産期トラウマヒーリングワークのパイオニアであるレイ・カステリーノはかつてこんなようなことを話していた。「生まれてくる赤ちゃんが本質的な自分の感覚と共に息づいていくためには、成熟した互恵的な関係を築ける大人たちが集い、その赤ちゃんから湧き上がる生命力の衝動を感じ取り、それへの正確なリフレクションを与えてあげる必要がある。そして、その場にいるものたちがその生命の源から湧き上がる衝動が持つテンポと共に動けたときに、迎えられた赤ちゃんは関係性と身体にしっかり根差しながら、本質的な存在である自分という感覚を持ったまま生きはじめることができる。」と。


 残念ながら、現代社会においてそのような正確なリフレクションを与えられる力を持った、健全な個性化を遂げられている大人は少ない。生まれてくる赤ちゃんは関係性なくして生き延びることはできないから、そこに存在する環境や関係に染まって生存することを優先する。その結果、正確なリフクレションを与えられなかった本質的な自分の感覚や生命の源から湧き上がる衝動が多かれ少なかれ抑えられてしまうということが起きる。


 詳しくは書かないが、セッションの前半でこの正確なリフレクションが欠けている状況が後々の癒しのプロセスへの必要条件として創り出された。ガイドが導こうとしていることを自分がうまくできないことであせりが生まれ、また、自分を通して湧き上がってくる衝動や自分の特有の表現は間違っているという劣等感の中で自分は少し溺れかけていた。


 勇気を持ってセッションを一時中断することをお願いし、話し合いの結果、豪佑さんは今までのサポートで使ってきた型を破ってでも、セッションの前半でもそうだったように僕が周辺社会に適合するためには抑えなければならないとどこかでいつも感じてきた、深いところから湧き上がってくる生命の力の身体を通しての表現をサポートすることを選んでくれた。そのサポートは前半に出てきた痛みの癒しのためには必要だったもので、この勇気ある転換を即興的に遂げてくれた彼の柔軟さと謙虚さにはとても感謝している。


 そして、アーティストの峻介さんはご覧の通り、セッションを通じて徐々に顕れ出てきていた、僕を通り道とする生命の源から湧き上がってきた衝動の力や彩りある本質的な表現を描きとってくれていた。驚愕でしかない。

躍動する光

 この成熟した二人との関係性の中でより正確なリフレクションを受け取れたおかげで、自分を抑えていた最後の解放のようなものが起きはじめたのかもしれない。湧き上がってくる根源的な生命の力のうねりや本質的な表現に自分という通り道を開け渡しながら、社会や関係性の中でももっと生きていける感覚が生まれてきていることに静かな喜びを感じている。恵みにあふれた幸せな時間だった。


 



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