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新字体の方が旧字体よりも伝統に則しているという話

 ときおり、保守派の論客みたいな人々が「新字体は駄目だ」とぼやくのを耳にします。曰く、本字にはそれぞれの部位に深い意味が込められているのに、新字体ではそれが省略されてしまっているから駄目なのだという。そういう人々はだいたい現代仮名遣いに対しても批判的で、「戦後に新字体と新仮名遣いになってから日本語は駄目になった」というような愚痴を、時にはわざわざかういう風に舊字體と舊假名遣ひを用ゐて書いたりしてゐるやうです。
 しかしながら、これは全く馬鹿馬鹿しい主張です。なぜなら画数の少ない略字で書くことは何ら日本語の伝統に反していない、どころかむしろその方が伝統に則しているとさえ言えるからです。
 まずは論より証拠、これを見てください。 

古来風躰抄 藤原俊成筆

 上にあげたのは藤原俊成による歌論書『古来風躰抄こらいふうていしょう』の直筆原本です。俊成の自筆ということで国宝にも指定されていますが、書体はともかく、左から四行目を見てみてください。「...…ら六義尓わ多利そのことは万代尓く……」と書いてあるのが見えると思います。この「万代よろづよ」という字、旧字だと「萬代」になります。鎌倉初期の俊成がすでに〝新字体〟で本を書いているのです。
 鎌倉だから特別こんな書き方というわけではありません。次は時代を下って江戸の本を見てみましょう。

錦摺女三十六歌仙 高内侍

 上の画像は鳥文斎栄之ちょうぶんさい えいしが十九世紀初めに出した『錦摺女三十六歌仙にしきずりおんなさんじゅうろっかせん』から、高内侍こうのないしの頁です。浮世絵の本なので主役は絵ですが、右には高内侍の歌が一首、「独里ぬ累 悲とやしるらん あきの夜を 奈可し と 誰可 きみ尓 告 覧」と散らし書きしてあります。読みやすく直すと、「独り寝る人や知るらん 秋の夜を長しと誰かきみに告ぐらん」となりますが、注目すべきは最初の「独」の字です。これは旧字体ならば「獨」となるはずなので、新字体になっているのです。
 おわかりいただけたでしょうか。というか、改めて言われなくとも情報としては既に頭の中に入っていたことだと思うのですが、日本語とは本来草書で書かれるものだったのです。旧字とか新字という言い方をするから紛らわしくなるのであって、実際には、和文でも漢字やひらがなをいちいち楷書の本字で書くようになったのは明治維新以降、活版印刷が普及してからのことです。旧来の伝統でも何でもなく、むしろ近代化してからそういう風に変わったということです。

 こうやって歴史を俯瞰してみると、「新字体などけしからん! 本字体の伝統に帰れ!」などとぼやいている自称保守派論客たちの底の浅さがにわかに浮き彫りになってくるのではないでしょうか。伝統、伝統と吠える時のかれらの頭の中にあるのは昭和初期に活字出版された古本の紙面であり、それ以前の千年の伝統の記憶はすっかり欠落してしまっているのです。明治維新を超えてもっと広い視点から歴史を見れば、仮名と本字を混ぜて楷書で書くのは明治から昭和初期というごく短い期間にのみ採用された特殊な書記法に過ぎないとわかるはずです。
 すなわち、和文においては、漢字は崩して書く方がむしろ本来の伝統に則っているということです。そもそもひらがな自体が究極に草書化された漢字なのだから、楷書的な本字よりも草書に近い新字体の方が相性もよいのではないでしょうか。もちろん、「戦前の書物を新字体に変えると雰囲気が壊れてしまうから、当時の本は旧字旧仮名のままで出版すべきだ」という意見には一理あると思います。(私自身、戦前の本は旧字体で読む方が好きです。)また現代文でも、単語によっては旧字体の方がしっくりくるという場合もあるでしょう。そういう時に旧字を使うことには全然反対しません。しかしながら、「旧字体で書くことこそが日本語の伝統」という話は完全に嘘なので、そんなことを言われてもひるむ必要はありません。「昔の人はちゃんと本字で書いていたのに現代人は面倒臭がって新字体しか書かなくなってしまった」などということは無く、昔の日本人も普通に略字を多用していました。なので、こだわって旧字体と旧仮名遣いで書き続けている人を見ても「日本語の伝統を大切にしているんだなあ」などと感心する必要は全く無く、単に「大日本帝国を懐かしんでいるんだなあ」とだけ思って通り過ぎれば良いのです。

 以上、簡単なやり方と面倒なやり方のうち、実は簡単なやり方の方が伝統に則しているというのもたまにはある話なのでした。了。