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こんなところに店を出しても人が来るわけない Vol.18

房の駅のオープン日が決まった。房の駅の「ふさ」をとって最初は2002年3月23日が候補だった。でもお彼岸ということもあり縁起が良くないということから開けた3月26日になった。普段 神頼みなんてしないのに 大安とか こういうところはやけに気にする笑


そして自分自身の役職が「房の駅」だから「駅長」となった。そう考えたら自分は「初代駅長」なんだな!!


そして建築もどんどん進む。
設計士が現場説明会の音頭をとっていく。良くわからない専門用語がとんでいく。「駅長!これで良いよね?」何もわからない自分は設計士の言いなりのように「はい、お願いします」と言うことを繰り返した。わからないことを決めつけられ勝手にすっ飛ばされることも多々あった。悔しい気持ちは日に日に積もった。



でも自分の考えが上だと思ったものは この若造が!なんて思われることなんて 気にせず 謙虚さを捨ててどんどん押し切っていった。



バックヤード(倉庫)はゼロで良い。
スーパーと同様 作業割当表を導入することを決めた。
レジは2台にしよう。
アイスクリームを売ろう。
ハンディーキャップの人のトイレをつくろう。
水槽でアワビ、サザエ、あさり、はまぐり、鯵を売ろう。
陳列のときは竹カゴを置こう。
POP(プライスカード)は手書きじゃなくてエクセルでつくろう。
今の房の駅に繋がる いろいろなことが決まっていった。ここから未来がはじまっていったんだ。



当時は
商品をカゴに並べて売る理由を聞く人がいっぱいいた。
パソコンでプライスカードを自力でつくるお店なんて皆無だった。
ましてや写真をパソコンに取り込んで生産者の顔写真を表にだしていくやり方もほとんどの直売所にはなかった。


やることなすこと
いろいろな人が理解してくれなかった。


なんで田んぼの真ん中に店を出すの?
人なんか来るわけないじゃん。
お土産屋なんでしょ?
観光地も何もないところで成功するわけがない。
生産者探しなんて そう簡単にみつかるわけない。
生産者がおろしてくれるわけないよ。
若すぎる。実績のある人をソバに置いた方が良い。
コンサルを入れた方が良い。
そんな品揃えで人が来るわけない。
小売はそんなあまいもんじゃない。
房の駅?道の駅のパクリ?
駅長の言うことは理想論だよ。
◯◯さんを敵にまわすと怖いからちゃんと挨拶をしておいた方が良い。
できない理由を並べたてられ、
できないと思わせるようなことを言ってくる人たちとの戦いだった。
それは社外に限らず、社内にもそんな甘いもんじゃない的な話をする人がいっぱいいた。
お得意先様からのアドバイスも嫌味も
諸先輩たちからのアドバイスや教え
社内の先輩たちからのアドバイスも


ぜーーーーーーーーーーーーーーんぶ
無視した。


1度も弱気になることもなかったし弱音を吐いたこともなかった。自信過剰を度を過ぎるぐらい持っていないとみんなが「つくりあげる不安」に押しつぶされていく。ただでさえ自分自身から湧き上がる不安との戦いで精一杯なのにだ。


これらの経験が今でもゼロから作り上げていくときの精神力を鍛えてくれた。今の謙虚さの中に共存する自信過剰さと上から目線は 何かをつくりあげたり、ゼロからはじめるときに邪魔してくる人たちと唯一戦える「武器」だった。



諏訪聖二 房の駅を立ち上げるまで
あと2ヶ月。



でもこの自信過剰さは後にいろいろな事件や問題を起こしていく。

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