第2回アートとマインドフルネス
先日都内某所で、1日過ごした。
小さなワークショップの記録である。
全体像
私からの案内
この日の時間割
午前「素材に戯れる」
午後「表現したいことを、表現してみる」
この時間の中では次の小さな実践が繰り返され、徐々に深まっていくことを意図してガイドを行った。
地に足をつける
安全を確認する
感覚を開く
今感じていることを、表現する
分かち合う
この結果、とても素敵な1日が訪れたのだ。
実施記録
2月12日、新宿御御苑近くの施設で、ワークショップを開催しました。
参加者構成
集まったのはのべ9名の人たち。
私がはじめて会う人が5人。それまで会ったことのある人は4人。
男性が1人に女性が8人。
午前中だけの女性が1人、午後だけの女性が1人。
大きな人が8人中ぐらいの女性が1人。
今回は小さい人は居ない。
初めての人がいると、緊張します。これは、慣れることのない緊張感。それは、予測することができないから。シミュレーションが止まりません。
準備から集合
会場についてひとりで設営。大きなブラインドを開くと、晴れた空が広がった。大丈夫だ、そう感じた。この空は大きなサポートとなる空間である。調理室も兼ねたこの部屋は、きっちんがあるので、家庭的な雰囲気になる。アイランドキッチンと部屋の側面に、画材を配置して、机をととのえて、みなさんを待った。
ひとり、ふたりと、人が集い始める。初めての人、オンランで会った人、すぐには見分けがつかなくて、声がけに戸惑う。全員あつまったぞ。というところで、チェックイン。
チェックイン
はずかしがりやの中ぐらいの人は、少し離れて座っていた。それぞれが、自分の安全を守れていたことが印象的だ。
チェックインから開いた言葉が聞かれた。私との関わりや、自分のこと。はじめの時間から、オープンさを感じていた。
大丈夫そうだな。と、安堵した。助け合える。
チェックインのあとは、2つめの自己紹介。彫刻づくりだ。A2サイズの薄い紙(純白ロール紙)を1人1枚配る。おもむろに、くちゃくちゃにして見せた。「いまの感覚で、くちゃくちゃにして、今の感覚の彫刻をつくりましょう」と言ったかどうかは定かではないが、言いたかったことはそういうことだ。
一斉に、くちゃくちゃがはじまる。とてもくちゃくちゃな人、そうでもないひと、いろいろだ。速さも、形も、こだわりも、いろいろだ。それがいい。
形ができたら、それを、部屋の中に配置する。その子の居場所はどこでしょう。自分を表した彫刻を、配置する。
すでに美術館である。
そして、ギャラリーウォーク。ひとりひとりの作品を巡って、作者が説明を加え、みている人は感想や質問を述べる。どうだろう。美術が苦手だと思っていた人もいる。しかし、全員が作品をつくり、作品をプレゼンし、自らの作品を写真に収めるまで、数十分しか経っていない。
アートの力は偉大だと思う。手の力は偉大だと思う。くちゃくちゃしただけなのに、自分を表す。置き場所が、メッセージを伝える。言葉は少なくても、互いがわかる。かかわれる。なんて、安全なんだろう。
このプロセス[作って、見せて、話して、聞く]が、この1日の大きなパターンだ。彫刻で快適さを感じた人は、次のパターンも受け入れてくれる。
リソーシングワーク
ここで、ここちよさにつながるリソーシングのワークを行った。ちょっと目をつむって思い出してみて「こちよかった、あのときを、あのかんかくを」それだけで、あったかくなるかもしれませんよって。実際は数分のガイガイドをして、静かな時間を味わった。
SEEラーニングのスクリプトを用いたので、ぜひ、ご自身でもためしてほしい。短い時間で、自分のエネルギー源につながれる。
黒と戯れる
次は真っ黒な時間。鉛筆で、紙を黒くする。真っ黒にしてみる時間だ。普段目にしない9Bまでを用意して、かなり太い芯だけに鉛筆(グラファイト)も用意して、塗りたくる時間をもった。
大きな人ほど夢中になる真っ黒なワーク。画材と戯れる時間そのものである。
色と戯れる
次は色々の時間。クレヨン、パステル、色鉛筆、水彩、などなど、好きな色を塗って見る。画材と戯れる。何を描くわけでもない。ただ、戯れることの楽しさや。そして、それだけでもひとりひとりの違いははっきりしている。どうやっても同じにはならない。それが表現だ。
おんなじになったら、それは作業である。
そして、お昼。
お弁当の人、買いに行く人、食べに行く人、もう自由。午前だけの人が1人次の仕事場へ。午後だけの人が1人仕事の姿で現れる。午前も午後も人数は同じ。でも、少しだけ違う。ごはんを食べた人は、また違う人のようにそこに居る。そんなふうに思った。それぞれも、午前とは違う、そして、関係性もそれぞれ違う。だから、ぜんぶ違うのである。
午後のチェックイン
だから、あらためて、午後のチェックイン。
問いは「何がおきたらいいでしょう。」
最初ののチェックインとは違い、ただ、いましたいことが出てくる。
五感を感じるワーク
セフルケアのカード(手段)を増やしたいという言葉に応答して。五感を感じる瞑想「体、音、光、香り、味」ひとつひとつを辿るだけで、感覚は開いてくるし、リラックスしはじめる。リラックスすると、痛みや硬さを感じやすくなる。感情も感じやすい。それは、守らなくてもいい場所ならではの効果だ。人は戦う場面では体の感覚を閉ざして頑張る。だから、手放して見ると、心地悪いことも感じられるようになるのだ。
ふれる練習
もう少し、セルフケアのカードが必要そうだなと思ったので、触れる練習をしてみた。似ている人をペアにして、ゆっくりと背中に触れてもらった。似ているのは、緊張度合い。からだにあるいつもの緊張度合いが似ている人を組み合わせてみた。私は1人の男性と、女子同士であっても、近い人と遠い人がいる。似ている人は、相手に触れる時不快感を伝えにくい。だって、似ているから。
あったかい。離れたのがわからない。そう、全ての人の手は癒しの力を持っている。離れる時ゆっくりするのがコツだ。突然は何事も寂しい。衝撃のある寂しさはいつまでも響く。ゆっくり離れると、そのあたたかさは記憶になる。そういえば、この体のワークはもう15年くらい伝えている。ふれるは偉大である。
創作
そして、創作の時間である。描くたいとがはっきりしている人も、そうでない人も、紙の大きさ、絵のテーマを選んで描き始めた。そのときこんなガイドをしていたと思う。「どのような完成にしようかという考えは手放していい、ひとつひとつ塗っていって、思いもよらない出会いがあって、そして、進んでいって、終わりがみつかるといい」
描きながらも、考えを止めたいという人がいた。考えは目の動きの速度と連動しているというアイデアを手渡して、部屋の隅っこをみてもらった。考えは止まった。何を描くでもなく、同じ動きを画面の上に描いてもらった。気持ちはおちついた。
ついつい考えてしまうという悩みは実はけっこう多い。このときの考えるは、頭の中だけで考えるというもので、外にも出していないことに気づいてほしい。それは、反芻という。同じところをぐるぐるとしているのだ。立ち止まり、外に出して考えた方がいい。徒労感が減る。
繰り返しの運動がおちつくのに役立つと、セルフケアのテキストや、中国の気功などでは教えてくれる。けど、ただ、繰り返しの動きをするのは実は難しくてやるきにならない。でも描くというのは、目の前に変化が現れる。そして、同じ動きをしているだけなのに、作品になったりするのだ。どんな紙でもいい、同じ動きをして線をひいてみてほしい。
感情を解放したいと言っていた人が、丁寧に塗りこんでいた。きれいな画面だ。おもむろに、目を瞑って、塗って見るといいよと提案をしていた。解放したいのなら、普段やらないことをやるしかない。ふだん目を瞑っている人は、目をひらいて。右手なら、左手で。足で描いたっていい。普段しないことからしか、解放は起きない。
挑戦の時間
実は問題の多くは、今持っている知識だけでは対応できない。だからまだ問題なのだ。
知らない知識を取り入れる。まだしていないことをしてみる。知らない場所に行く。いつもの反対をしてみる。そのためには、安全が必要だ。戻れる場所があるから、挑戦もできる。
この日、ここに来てくれた人の多くは挑戦をしにきたのだと思う。アートと、マインドフルネス。その共通点はここにもある。自分から出てくる、まだ知らない自分に出会うこと。アートもマインドフルネスも冒険だと思う。
実は次の瞬間、何が訪れるのかはわからないのだから。
今回、前回参加した人は、いなかった。人が違えば起きることも違う。それでもプログラム構成はほぼ同じである。
このワークショップは、ずっとしたかったことの到達点であって、何度でもやりたい。20年の探究の成果だと思っている。
参加してくれたみなさまに、感謝しかない。
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