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幼いままの横顔で

昨日、成人式の前撮りをした。足りない小物や襦袢の支度、着物の着付け、撮影まで、ご縁のある方々にお世話になり、なんと幸福なことだろう。

もう季節は秋へ移ろっているのかと思いきや、昨日は夏のようにまぶしい太陽と澄んだ青空で、しかし風と月は秋のそれだった。

書きたいことがたくさんあるので、まとまりがなくなってしまうと思うけれども、どんどん書いていこうと思う。

私が着たのは、母が成人式のときに着た着物だ。

母の着た着物を娘も着るなんてとても素敵でいいなあ、という人もいるだろうし、一方では、母のものなんてとんでもない、私は自分で選んだ着物を着たいわ、という人ももちろんいるだろう。

しかし私は圧倒的に前者の考え方だったので、母の着物があると知ったときにはうきうきした気分になった。母の着物や帯は流行の柄ではなく、古風で品のある和模様がいっぱいついている。私は成人式の着物は古風なものを着たいと思っていたし、髪の毛も茶髪でふわふわの編み込みとかにはしたくなかった。だからしょっちゅう家に送られてきていた、大手着物レンタル屋さんのハガキにある着物にはあまり胸が躍らなかった。どれを着ている自分も上手く想像できなかったからだ。

だから母が出してきた着物を見て、あぁ、私はこれが着たいなと思った。それを着ている自分をたやすく想像できたし、母が着たものを着るなんてなんとドラマチックなことだろう。

そういうわけで、あれこれ揃え、昨日ようやく成人式の前撮りと至ったのだ。

わざわざ着付けてもらってまでしゃんと着物を着たのは、七五三のとき以来だと思う。以前、夏祭りに紫陽花柄の浴衣を着て行ったことがあるけど、浴衣はそんなに苦しくないし、身に着けるものも少ないので平気だった。

七五三のときの着付けにはあまりいい思い出がない。慣れない着物を着たせいで、神社へ移動する間にすっかり車酔いしてしまい、気分も悪かったし、その道中で口紅を父の車につけてしまって怒られたことが一番強く記憶に残っている。

そして昨日も記憶に違わず、やはり着付けは相当苦しいものだということを再認識した。冗談抜きで、肋骨が折れてしまうのではないかと思うほどに帯を締めあげられ、どうしようかと思った。着物を常日頃から着ていたころの日本人の女性を心から尊敬し、着物と同じようにチマ・チョゴリもこれくらい締め上げるのかな、ああでも、西洋では確か女性はコルセットを付けていたよね、女の人は大変だなあ、というようなことを考えた。

しかし、西洋がコルセットで女性らしい身体の曲線美を強調するのに対して、日本はわざわざ寸胴にしてから着物を着るような国だ。考えてみたら着物は身体の露出もすごく少ないし、でも締め付けるものはやたら多いしで、すごく大変だなと感じた。

しかし、着物には着物の良さがあるな、とも感じた。

これは昨日、ぼんやり頭の中で考えていたことだけど、昔の日本の女の人が服を脱いだときとか、薄着になっているときの華奢さ、肌の柔らかさ、温かさ、普段は見えない曲線美を目にしたら、当時の男の人はたまらなかっただろうなと思う。私でもきっとどきっとしてしまうだろう。そしてそれは着物を着ているからこそより際立つ魅力だとも思う。

私は女の子がとても好きなので(恋愛対象というわけではないけれど)、本当に純粋な気持ちで女の子が好きなので、女の子を見ていると、顔立ちを問わず「かわいい…」と思うことがよくある。だから、男の人が女の子に抱く気持ちとはちょっと違っているかもしれないけど、その肉体としての女性らしさとか、女の子の魅力のたまらなさとかがなんとなく分かるのだ。もちろん、男の人の良さも分かるけれども。女の子の方がやわやわしていて、かわいらしいから好きだ。男の人の魅力とは全く違っている。

かなり話が逸れてしまったけれど、とにかく着物を着ることがどれだけ大変かということが分かった、というお話がしたかったのだ。もちろん、私が着物を着慣れていないからなのだろうけど、呼吸も浅くしかできないし、椅子に深く座れないし、暑いし、重たいし、洋服の軽やかなことと言ったら、革命だとさえ思った。洋服を着る人が多いことも納得だ。

そんなこんなで、髪型も日本髪らしいものにしてもらった。普段は出さないおでこを出して、まだ一度も染めたことのない黒髪を結ってもらった。町娘みたいな感じだ。桃割れと言うのかな。そんな雰囲気になれて嬉しかった。

いつも髪を切るときお世話になっている美容師さんは、何度も「最近はふわっとした感じの髪型が流行っているけど、本当に和な感じでいいの?」と聞いてくれたけれど、私は毎回「はい、お願いします」と答えた。

髪に飾りを付けながら、「なんだか七五三みたいだね、でも似合ってかわいいよ」と美容師さんが笑ってくれた。鏡の中の自分を覗きながら、本当に七五三みたいだと自分でも思った。幼い顔、黒い髪、小さな背丈、桃色の着物。前に母に見せてもらった、七五三の写真の中の私と、成人となった私の顔つきはほとんど変わらない。

だから今でも、年齢より下の年に見られる。前撮りの前日にオーバーオールを着ていたら、老夫婦に「小学生ですか」と聞かれたし、高校生のとき家族で行った電気屋さんで、妹と一緒に風船をもらったこともある。

けれどその幼さこそがきっと私の良さであり、そして決して安易には捨ててしまいたくないものだ。もちろん、ときどき散々からかわれて、うー嫌だなあと思うこともある。

でも考えてみる。もし華やかなお化粧で童顔をごまかし、暗い茶色に染めた髪を巻いて低い位置でふわふわに結って、緑や水色のはっきりとした色の着物を着たら、私はもう少し大人びた女性に見えたかもしれない。

けれどそれは私じゃなく、私の良さを殺してしまった私だろうなと思う。

だから、幼いままでいい。七五三みたいだねと言われる自分が意外と好きだったりするのだ。私らしさのひとつがそれだから、安易に捨ててしまいたくない。もちろん、持っているものを捨てて新たな何かを得る人もいるだろうけど、それが悪いことだとは思わない。

でも私は垢抜けない素朴な幼さを持って生きていきたいなあと思う。

もちろん、今後の人生で髪を染めたりすることもあると思うけど、自分が「そうしよう」と感じたときに染めたいなと思う。

そんなこんなで、写真屋さんに、一生残るであろう写真を撮ってもらった。その写真はまだ出来上がっていないけど、写真屋さんの後ろで、母が自分の携帯電話を使って撮った写真を見せてくれた。

その中の1枚、私の横顔を写した写真を見て、私はまだ幼い少女の面影をたたえているのだろうなと、密かにそう思った。きっと父や母も同じように思っているだろう。

なんとか20年間生きてこられたこと、本当に幸せなことだ。私の前には、今まで過ごしてきた時間よりももっと長い年月が横たわっているけど、これからも日々をそっと重ねていきたいなと思う。

色々なことを書いてしまった。でも色々なことを考えた1日だったから、文章もまとまりがなくてもいいかなと思う。自分が忘れないために、あるいはいつか思い出すために記録しておきました。幼いまま20歳になった私のこと。







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