見出し画像

そして日々は続く

私が生まれ育った家は、田舎の山の上にある高野山真言宗の寺院なのだけれど、先週の土曜日、祖父から父へと住職の代替わりの儀式である晋山式が行われた。よく晴れて風のない、絵に描いたような皐月の1日だった。

父と母は約4年間かけて一生に一度の晴れ舞台のため準備を重ね、その過程で多くのひとと関係を築き、ようやくその日にたどり着いた。新型コロナウイルスの影響で、晋山式そのものを行えるかさえ怪しくなった時もあった。

けれど執り行うことを確定させてからは、家族みんなにとっては全てがその日のために動いているような、あまりに特殊で非日常な忙しい日々だったように思う。

特に今年に入ってから、私たち一家のしようとしていることはより目に見える形へと変化し、先週から私は大学を、妹は高校や小学校をそれぞれ休んでまで準備と片付けを手伝ったほどだ。

特に1週間前くらいからは毎日ひっきりなしに家族以外の誰かがお寺を訪れて、境内やお寺のあらゆる場所の掃除、テントや吹き流し、のぼりなどの設置、山道や交通の整備のこと、来賓のお客様や、法要に来てくれるお坊さん方にお出しするお茶やお菓子の手配、それらを入れる茶器の支度、屋台のこと、当日の受付の打ち合わせ、音響のことまで、あらゆることを手伝ってくださった。

私と妹はお手伝いしてくださる人々のため、飲み物やお菓子を買いに何度も山を降り、そして3時には一旦手を止めて、みんなでわやわや休憩しながらおしゃべりをした。

その空気にはなんともたまらないものがあった。私は昔から、自分の家に(お寺に?)人が集まっているのが大好きな性質なので、その久々のわちゃわちゃした日々が楽しくて仕方なかったのだ。

住職になった私の父は、元々お寺の生まれではないのだけれど、高野山にいるときに母と出会い、結婚するにあたって母の実家である島根のお寺にお婿さんとしてやってきた。お寺の仕事だけではとても生きていけないこの時代、他の仕事もしながら、もう20年以上僧侶として過ごしてきた。

知らない土地にやってきて、ゼロから人間関係を構築していく苦労、お婿さんとしてお寺に入るということ、今よりもっと強くて恐ろしい威厳のあった祖父との関係性など、きっと一筋縄ではいかないことも色々あったのだろうと思う。それは私は慮ることしかできない、父の過ごした日々だ。

けれど父は柳のようによくしなって嵐を耐え忍び、それと同時にこの地に深く根を張って、一代で山をひらいた祖父に続き、ようやく住職としてのお披露目の式を執り行うに至ったのだった。

そんな父と母、そして住職を退いて名誉住職となる祖父のため、コロナ禍なのにも関わらずあらゆる場所から実に多くの人がお祝いにかけつけてくださり、当日はまるでお祭りのようだった。

普段からお付き合いのある地元のお寺さんをはじめとし、父が高野山大学にいたころからご縁のあるお坊さんの方々も、それぞれの寺院の名を背負って来てくださり、お寺の法要を取り仕切ってくださった。さらには一度も見たことのない柴灯護摩の修法、できる寺院が全国に1桁ほどしかない松明の行や熱釜の行などを自分のお寺の敷地内で目にして、本当に貴重なことだなあ、というように思う。

お寺さんだけではなく、来賓として式典に参加してくださった方、お参りしてくださった多くの方々、父方と母方それぞれの親戚のみんな、母の大学時代からの友人、近所や町に住んでいるひとびとまで、あらゆる形でかかわりのある人々がそれぞれの生きる場所から同じ場所を訪れてくれた。

準備から片付けまで、自分の持つ限られた人生の時間を、父や母、私たちに分けてくれることが本当になによりもありがたいことなのだと感じた。

そしてその日そこにいたひとびとと同じ時間と空間を共有し、そしてそれは決して消えることがないのだ、ということが何よりとても嬉しい。

私はnoteで自分の生まれ育ったのがお寺であるということや、それがもたらした数々の経験と日常をわざわざ綴ったことはない。自分の生まれを特別だと言いたいわけでも、信じている(というより私を形作っている)宗教を誰かに押し付けたいわけでもない。

けれど、自分が生まれ落ちた家が高野山真言宗の寺院であるということは、今までもこれからも、私とは決して切り離せないことだし、それは私の生きた、あるいは生きていく軌跡のひとつでもあるのだということはやはり心から大切に思う。

だからこの初夏の美しい季節に、私の生きてきた年数、父と母の過ごしてきた年月を思い、そしてそれ以前に祖父が必死で築き上げてきたものをも思ってうっかり感極まってしまうのは、とてもピュアな気持ちからくるものかもしれない。

あんなに一生懸命に準備をしたのに、翌日には訪れた人々はみんな私たちの家を去り、家の中は日常のそれへと戻っていく。でも大きな行事の名残は確かに家のあちこちに残っていて、それがなんとも言えない気持ちを私にもたらす。またひとつ終わってしまったのだ、という切ない気持ちと同時に、初夏のたっぷりと水をたたえた田んぼのような、不思議に満ち足りた気持ちが胸に残っている。

多くのひとびとに支えられながら、もう2度と訪れない特別な1日を、私たちは毎日ひたむきに生きている。

今回のことで関わってくださった多くの人に心からお礼を言うと同時に、これからもどうぞよろしくお願いします、と伝えたい。私は死ぬまであの1日の匂いや光の加減、大事なひとびとの姿や声なんていうものを忘れないでしょう。いただいた真心や、父や母、祖父のしたことを抱いて生きていく。そして日々は非日常から日常に戻り、これから先もまだ続いていくのだ。

以下に、当日ではなく翌日に撮った写真を記録として載せておきます。

晋山式の名残。玄関に置かれた手土産の花と、晋山式の夜の直会で残った缶ビール。
飲みものを冷やしていた大きな氷たち。
大方普段通りだけれど、完全には戻り切っていないお寺カフェの内部。生活は続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?