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麗しの水無月

21歳の誕生日を迎えました。毎年そう思うけれど、生きてきた年月の割に私はまだ幼いような気がする。とはいえ誰かがお誕生日を迎えるたび、その人がそれだけの年月、1日も呼吸をやめずに生きてきたのは本当にすごいことだと思う。

私の生まれた日は水無月の真ん中、ちょうど梅雨の時季なので、雨が降っているイメージが強いと思うけれど、記憶している限りここ数年は毎年必ず晴れているように思う。空は、朝少しどんより曇っていても夕方には晴れていて、それはそれは美しい夕方のひとときを私に与えてくれる。梅雨の晴れ間を縫って生まれた私への、太陽からの贈りもの。

今月はあまりにも哀しい出来事があったから、それをきっかけに猛烈な勢いで色々なことを感じたり考えたりした。

それはあの子がたった2か月の生の中で意図せず私に与えてくれたものだ。

だから私はこれから生きてこの季節を迎えるたび、あの子のことを思い出し、できるだけやさしく朗らかにあろうと思う。私が生を手放す日まで、ずっと。

私は目に見えない力を信じている子どもだったし、今でもそう。魔法や愛、言葉の力を信じている。今日は愛する人々からたくさん宝石のような言葉が届き、私はそれをぱくぱくとひとつずつ食べ、心をぷるぷるに潤わせている。

誰かが大切な1日の時間を割いて、私にあたたかな言葉をくれることが何よりうれしい。それが誕生日に起こる、1番特別なことだと思う。好きな人や友だちと一緒にいられなくても、家族と離れていても構わない。もちろん、一緒にいられるのがいちばんいいけれど、でも彼らの中に私が確かにいるということは、ただひたすら私を満たす。

21歳は、迷ったらときめく方へ、という言葉を心の真ん中に飾って過ごしたいな。そして大切な人には「あなたが好きだよ」というのをためらわず、言葉や態度、まなざしで伝えていきたい。沈黙の方が雄弁に物を語るときは確かにある。沈黙にしか語れないものも存在すると思う。けれど大抵の場合、私は言葉が満ち足りた世界を選んで生きていく。

素敵な年の重ね方をしたいものですね。

いつもひとりごとのような文章を見てくださってありがとうございます。気まぐれなお天気の日々ですが、どうぞ健やかにお過ごしください。





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