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どんなに遠くなっても

最近、私にとって懐かしいひとびとに会う機会が多く訪れており、そのことをとても幸福に思う。

今日の午前中、妹の学習発表会を覗きに母校の小学校を訪れると、保育園から中学校にかけて一緒に遊んだり学んだりしてきた同級生の女の子とばったり再会し、思いがけないことだったので本当に嬉しかった。

彼女とはとても久しぶりに会い、立ったまま少しだけ話をした。ボランティアで学習発表会のお手伝いをしに来ていたのだと言っていた。彼女とは高校が違ったので、中学卒業以降はほとんど会っておらず、しょっちゅう互いに連絡し合うわけでもないので、この数年は友人を介して彼女の様子を耳にする程度だった。だから私が彼女に対して抱く印象は小学校から中学校のときのものであり、もう古く錆びついてしまっているのかもしれない。もしかすると彼女にとっての私もそうかもしれない。

しかし彼女は、少なくとも外見は、私の記憶にある彼女のままだった。あの好奇心を秘めてきらきら輝く、くりっとした瞳も、小さいころからすらっと高かった上背も、印象としてはなにひとつ変わっていなかった。マスクをしているので、その口元が形作る笑みを見ることができず、少し残念だった。私の知っている彼女は、口角をきゅっと綺麗に上げて、とても素敵に笑うのだ。きっとその笑顔は今も変わっていないだろう。

私は高校入学までに2度も学校の統合を経験するような田舎で育った。1度目は小学校4年生のとき、2度目は中学1年生になるときだった。

小学校の学級の人数もそれほど多くはなく(とは言いつつ、私たちの学年は他の学年より人数が多い方ではあった)、一緒に小学校を卒業したのは22人。みんな私にとって切っても切り離せない人ばかりである。なぜなら私はみんなと一緒に過ごす日々の中で、少しずつ自身の人格やその核となる部分を育てていったのだから。

そんな、小学校が一緒だったみんなのことをたまに考える。私は今でもみんなの名前を出席番号順に言うことができるし、名前を漢字で書くこともできる。お誕生日もみんな覚えている。今でも誰かのお誕生日になるとその友人のことを考える。みんなもきっとそうなのじゃないかな。私たちはそれくらい近い場所で過ごしていたのだ。

旧友に会うとはとても喜ばしいことだなと思う。なんとなく安心するのだ。そして私は、幼いころからの友人に会ったとき、そのように晴れやかな感情を抱けるような学校生活を送ってきたのだなと思い、それがただ嬉しくて仕方がない。

私たちは同じ教室で、移ろう季節をともに過ごし、時が来たらそれぞれが別の場所へと旅立っていった。けれどこうして、今ではもうほとんど会わないような幼馴染たちと新たに出会い直すような年齢に、私もなってしまったのだ。それを思うと感慨深いものだと思う。

例えば今20歳の年になったみんなに会ったとして、髪を染めたりお化粧をしたりしていても、お酒や煙草を手にしていても、それぞれの根っこにある部分を私たちは互いに知っている。それらを否応なく見せ合って関係を紡いでいたのだ。もう今となっては決して取り繕えないほどに幼くわがままだったり、自分勝手だったり、でもそれぞれが優しかったり面白かったりした、そうあることが許されていた日々を今もなお共有している。

それは私にとってはすごく特別で、でもある意味ではすごくあたりまえのことでもある。

そのうちまた誰かにばったり遭遇したい。そしてそのとき、私の中で幼いみんなが今も呼吸しているように、みんなの中にも小学生のときの私が少しでも生きていますように。今より遥かに乱暴で、気分屋で、もっと夢見がちな私が。私のどんなに恥ずかしくてみっともない一面も、みんなは既に知っている。だから今更みんなに何かを隠す必要などない。

それは幼いころから互いを知っている、そのことがもたらす唯一の特権なのだ。


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