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ときめきよりずっと魅力的なもの

遠距離恋愛が始まってから、もう3年目の夏を迎えようとしている。

毎日おやすみの電話をしようねと、彼は離れ離れになってしまう前にそう私に約束をしてくれた。半信半疑で指切りをしたけれど、実際彼は私と離れてから2年と少し、どんなに時間が短くてもほぼ毎日電話をしてくれている。

だからさびしくなってしまうときはあっても私たちの遠距離恋愛はとても安定しているのではないかと思っている。ただこれは私の感想だから、彼も同じように感じてくれているといいのだけど。

とはいえいくら毎日電話していると言っても、私たちは365日のほとんどはともに過ごすことができない。日々を過ごす場所も、大学で学んでいることも、友人関係も何もかもが180度違うのだから、どうして恋人関係が継続できているのかしょっちゅう疑問になる。ただ、ある程度相手のことを信頼しているのだろう、きっと。

こんなことを言うのはどうかと思うけど、たとえば私は彼が家に他の女の子を連れ込んでいてもそれを知ることはできないし、もちろん逆もそうだ。もちろんそんなことはしていないから言えることなのも互いによく理解している。

でもやっぱり、そういう可能性を常に頭に入れていたらとても離れたままで付き合ってはいられないような気がする。だから私がまともに遠距離恋愛できているということは、きっと私の現実的な想像をする脳の部位が退化してしまっているからなのだろう。それと彼が私を深く安心させてくれているから。連絡をこまめにとるとか、毎日の電話とか、そういう小さくて些細なことをしてくれているからだろう。

私は大学へ行っても彼には会えないけれど、そのかわり恋人ではない他の男の子たちと交流をする。そしてときどき思うのだ。火遊びの動機というのは本当に簡単に転がっているのだなと。

新しく知り合う男の子とのやりとりはおもしろい。何を言ったら笑みをこぼすのか純粋に興味があるし、何より誰かと仲良くなっていくあの過程の楽しさには何にも代えがたいものがある。最初は踏み込みすぎず、でも少しずつ心に踏み込んで仲良くなっていく、その過程の曖昧な距離感とか、言葉の選び方、視線のやりとりなんてものはたまらない。

でも大学で男の子とそれなりにおしゃべりをした日、家に帰り、お風呂に入って髪を乾かしたり、本を読んで日記を書いたりしていると、とんでもないさびしさに襲われる。

そして夜の9時を回り、恋人から電話がかかってきてその声を耳にすると、私はひどく安堵する。泣きたくなるほどに安心するのだ。

大学の男の子との会話は私の胸をきらきら躍らせる。仲良くなった男の子と研究室でたまたま会うなどして、だらだらおしゃべりをする時間はとても楽しい。知り合ったばかりの男の子と話すのは甘酸っぱい時間であるように私は昔から思っている。

でも私にはもう恋人の魂の存在がすっかり馴染んでいて、やはり隣にいるのは彼でなくてはならないと思う。

あの安心感は彼以外のどの男の子も私に与えることができない。他のどの男の子も私を当たり前のように安堵させることはできない。私にときめきをくれる男の子は、決して同時に安堵を与えてはくれないのだ。

私の恋人はときめきより安心を多く与えてくれる。ただそれは胸のきゅんとするような甘酸っぱさ(と、それに伴う胸の痛み)を追いかける恋しかしたことのなかった私にとって未知の感覚だったので、1度はためらってしまったけど、でもやっぱりこれで正解だったんだなあと今は思う。今は痛いほどに幸せだけど、どこも痛くはない。胸の痛みなんて存在しないのだ。

だから新しく出会う男の子との会話で胸が躍るのは私の過去の名残なのだ、たぶん。ときめきや胸の痛みを感じる男の子と私は決して幸福になれない。

私は恋人のことがとても好き。彼と出会って過ごしてきたこの4年間は私にとって大きな価値を持っている。そして離れたまま紡いできた関係性にも。

だから昨日、一昨日と恋人に再会し、彼のお誕生日をお祝いできたことは本当に嬉しかった。一緒にケーキを食べたり、夜にアイスを買いに行ったり、映画を観たり、くっついて眠ったりするのは至福の時間だった。

そして東京へ戻らなくてはならない彼が、今日私が授業から戻るころにはもうアパートにはおらず、ただふたりで過ごした空気だけが、歯ブラシやふたつ出ているガラスのコップなんかと一緒に、わずかに、けれど確かに残っているのは私にはたいそうさびしいもののように思える。

21歳になっても私の泣き虫は治りっこないので、昨日の夜は好きな人の腕の中で泣きながら眠った。彼は怒りも泣きもせず静かに私の髪を撫で、優しい声で大丈夫だよ、と何度も言った。それは私を落ち着かせ、眠りへ誘った。

そして今日、私はひとりで家に帰ってきた瞬間のあまりのさびしさに、彼が書いてくれた手紙を読んでは泣き、部屋を掃除しながら泣き、とにかくほっぺがびしょびしょになるくらい泣いて、今こうして文章を書けている。

彼と再会するまで私は何度でもひとりで泣きべそをかく。そうやってこの2年間を越えてきたのだ。3年目もきっと越えられるだろう。

そして私はまた大学へ出かけて行っては知り合いの男の子と話をする。そこでどんなに面白い話をされて、それなりに楽しい時間を過ごしても、やはり私は恋人の不在と、彼の与えてくれる安堵を想ってしみじみとするのだろう。私の日々はもう数年はそれのくりかえしだ。

でも何も不幸ではない。私たちはさびしい思いをした分だけ互いに優しくなる。夏休みはもうそこまできて私たちを待っているのだ。



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