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さびしいことを認める

いつも優しくほがらかになんて生きられっこない。

ときどきこの言葉が思い浮かぶ。誰かの言葉じゃない、私の言葉だ。そう思って歯を食いしばり、明日へと旅に出るため眠りにつく。私は完璧ではないからいつも笑ってばかりはいられず、ときどき怒ったり悲しんだりを繰り返しながら日々を重ねていくしかないのだ。

強がりを言うならそれを貫き通す強さが欲しい。強がりを言えないのなら、どこまでも泣きべそをかく図々しさが欲しい。でも私はどちらも持っていない。だから中途半端に強がりを言い、中途半端に泣きべそをかいてしまう。そんな自分にうんざりして、私の弱さが泡みたいにぱちんと弾けて消えてしまえばいいのに、と思う。

好きな人に会いたい。離れている恋人に会いたい。毎日それを思う。ときどきごく軽く、ときどきとても重たくそのことを考える。

朝と夕方にほんの一瞬だけ、でも毎日会えていた高校時代と、1日中くっついていられる代わりに数ヶ月会えない日々を耐え抜く今とでは、果たしてどちらが幸福だろうか。

会いたいと言いすぎて、本当に会いたいのが、心が壊れてしまいそうなのがいつなのか自分でも分からなくなる。彼も、私が本当にさびしさに負けてしまいそうなときの「会いたい」を、もう判別できなくなっているのではないだろうか。この世界から消えてしまいたい、と口癖のように言っている子が、本当につぶれてしまいそうなのを見抜くのが難しいように。

さびしい。これから冬がくることを思うと、ほんの少し胸が鈍く痛む。

もう無理かもしれないと思う夜を抜けたら、案外なんとかなりそうだと思える朝がやってくるのに、私はいつも彼が寝てしまったあと、夜にひとり取り残された気がする。月のある夜はいい。でも月や星が見えない夜は、夜の底から浮かびあがることもできず、深い闇に包まれて眠らなくてはならないのだ。

毎日じゃなくていい、せめてもう少し頻繁に会えたらいいのにな。次はいつ会えるのだろう。冬休みに1度くらい会えるだろうか。そこを飛ばして春休みになるだろうか。早くてもあと2か月、遅ければ3か月ちょっとくらい。

会いたい。

その衝動だけで飛行機や夜行バスに飛び乗ってしまうほど、周りのことが見えなくなる性格ならよかったのにな。私は東京へ行っている間中出席できない授業のことも、突然押しかけて彼の生活リズムを崩すことについても冷静に考えてしまう。だけどいつか、堪えられなくなったらきっと私もそういうことをしてしまうと思う。だから多分まだ大丈夫だろう。

今だってしようと思えば電話もできる、彼は毎日連絡をしてくれる、音信不通ではない。私たちはとても恵まれている。それに嫌いあっているわけでもない。ただ触れられないだけだ。目の前で彼の瞳を見つめられないだけだ。

強くなりたい。優しくなりたい。距離にこの恋を殺されてしまいたくない。

そんなことを考えて、私はなんとも立派に恋をしていることだな、と思う。片思いしか知らなかったのに。

それを考えると少し可笑しい。くすっと笑ってしまう。だから何とかなる、きっと大丈夫。明日もしっかり起きて勉強をして、また布団にくるまって眠ろう。どんなことがあっても、結局それしかできることはないのだ。

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