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虹の夢

今朝、虹の夢を見て目覚めた。

そうしたら朝ごはんの後で外にきれいな虹が出ているのを見つけた。とても大きく、色がくっきりと濃い虹だったので、カメラにもきれいに写った。

私は虹がとても好きで、虹の気配がするとついそれを追いかけてしまう。

雨の降っている様子とか、太陽の光の加減、そのときの太陽と反対側の空の色あいや、たれこめている雲の具合なんていうもので、なんとなく虹が出そうなときが分かるのだ。

そんな「虹の匂い」をかぎつけて、私は空を見上げる。室内にいれば太陽と反対側の窓を探してそこを覗き込む。思った通りの場所に虹が出ていたら、よろこびのあまりうっかり歓声をあげてしまうほどだ。

山陰の冬は曇りの日が多い。

今はまだ秋晴れの日もあるけど、もう少ししたら、雪になるまではいかない冷たい雨がしょっちゅう降るようになる。そんなお天気はときどきひどく私を憂鬱にさせる。どんよりした曇天がずっと続くくらいなら、いっそのことたっぷり雪が降ればいいのに、とさえ思う。

どっちつかずなお天気は私には苦しい。とりわけ冬は植物がじっと静かにしているから、青空にそばにいてほしいのに、雲はそれを邪魔してくるのだ(雲が悪いわけではないんだけどなあ)。

でも冬は、そんな曇りの日にこそ虹が姿を見せる可能性がある。それだけでちょっとだけがんばってみようと思う。

こごえそうに寒い日、コートやマフラーですっぽり身体を包み、震えながら外を歩く私にとって、もしかすると虹が空のどこかにいるかもしれないというその希望が、足を前に出す理由になるのだ。

虹というのは本当に魅力的だ。

何より、虹が生まれるためには太陽がなくてはならないのに、でも同時に雨も必要なのがたまらない。太陽だけでも、雨だけでもだめ。それが虹の愛おしいところだと思う。

そしてすぐ消えてしまい、決して手が届かないところもすき。

気まぐれな虹は、私が「待って待って!まだ消えないで!」と念じていても、躊躇なくいなくなる。そのくせ期待していないような、思いもかけないような、そんなタイミングで現れるので、私はよくよく注意して空を見ておかなくてはならない。実に気まぐれだ。

そして虹を手に入れることは決してできない。それが私を惹きつける。手が届かない美しいものには誰もが恋焦がれてしまう、そのよい例だと思う。虹というものは触れることも、根本に行くこともできない。でも、それが私をひどく魅了してやまない。

今朝の虹はずいぶん長い間その姿をとどめてくれたからラッキーだった。

今まで見てきた虹の中には、そのときどきで印象的、あるいは象徴的なものがいくつもあるけれど、今日あらわれた虹もそうだった。

今朝の虹は、私たち一家がだいすきな、父の後輩のお坊さんたちとわいわいしながら見て、すごくすっごく楽しかった(彼らのうちのひとりが「虹が出てる」と、朝食の片づけをしていた私たちを呼びに来てくれたのだ)。

彼らはこの1~2年、いろいろな用事で私たちの家をよく訪れてくれたけど、今回はそれもしばらくないだろう、というようなさびしいタイミングだったので、さわやかで鮮明な虹はより胸にぐっときた。

この虹をいつか話の種にして、またあの愉快なお坊さんたちと話したり、お酒を飲んだりできますように。私より年を重ねているみんながこれからも元気で過ごせますように。

そしてたぶん私はこれからも虹を愛するだろうし、こうやってことあるごとに虹のことをつづるだろう。

私の虹にまつわる記憶は、そのときどきの大切なひとびとや思い出と一緒に、いつか死んでしまうその日までいろいろな色を重ねていくのだ。

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