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〈正解のない問い・5〉 「毎日の食事の回数ですかね。人によって1日3回、または2回など。たまに考えたりします」


『正解のない問い』

ワタクシ 米山哲司のfacebookで、「正解のない問いをください」、「問いはご自身が気になっている問いでも、どうでもいいようなお気軽な問いでも結構です」と呼びかけたところ、数日間で個性あふれる問いを50以上もいただきました。嬉しい限りです!(いただいた問いは こちらの投稿のコメント欄をご覧ください) いただいた順に私がぼんやりと思ったことを返信として投稿しますね。着飾らずに書きますので、ゆるやかな気持ちでお読みいただければ、と。 では早速…

〈問〉
「毎日の食事の回数ですかね。人によって1日3回、または2回など。たまに考えたりします。」

〈返信〉
食事の内容ではなく、回数のことを考えてみえるところが興味深いですね。気になってみえるところは「多くの人が疑問も持たないまま1日3回としていていいのだろうか」かもしれませんし、「2回に減らそう。減らしたい」ということかもしれません。回数のことをきっかけに〝食〟について考えたことアレコレを。

私、お叱りを受けることが多いのですが、食への関心が低いのですよ。これから先、読めば読むほど「どんどん米山のことが嫌いになるわぁ」と思われることかと。ジワジワと人を嫌いになっていく過程もお楽しみください(笑)

今回は問いの回答を先に。私は朝昼晩の3回普通に食べています。時間がないから朝食を抜くとか、12時間ダイエットで回数を減らしたとか、全くないです。食べる量は多くも少なくもない。好き嫌いはない。こだわりもない。料理はしない、って感じです。

食に関心がない、とはいえ〝おいしい食事〟は好きなのですよ。どんな感じかといいますと、おいしい食事を求めて行列に並んだり、タウン誌やWEBで調べたりをしませんね。なので私に呑み会の幹事をさせると最悪ですよ。食に関心がないとどうなるかというと、「予約のとりにくい評判の店」と「予約のとりやすいチェーン店」なら後者です。「山奥にある美味い店」と「近所のファストフード店」も後者です。宇都宮へ出張に行って餃子を食べずに帰ってきたことがありますし、東京出張で3食連続でチェーン店の牛丼だったこともあります。一人暮らしの学生時代、インスタントラーメンはほぼ毎日でした。食に関心のない上に貧乏学生なら食事を抜きそうなものですが3食は食べたい。しかもできる限り決まった時間に食べたい。なので食事が出てくるのを待つのも嫌です。学生の頃、母から「美味しいご飯をつくるから待っててね」と言われたなら「サッと出てくるご飯ない?」って思ってしまいます。もちろん思うだけで言いませんよ、叱られますから。そう、作り甲斐がないと言われますね。遅くに帰宅したときも「おかえり、なにか作ろうか?」という気づかいに対し、「簡単なご飯でいいから」という気づかいのない返答をして逆鱗に触れる人っているでしょ。あれ私です。ご飯に簡単なものはないのは解っていますし、作ってくれる人や作ってくれることに大変感謝しているのですが、食には関心がないので、悪意なくデリカシーのない言葉が出ることが。そう、世の中に悪意を持った会話なんてほぼないのですが、デリカシーのない会話はいくらでもあります。相手のことを悪意で嫌いになるのではなく、その配慮のなさが嫌いになるのでしょうね。こちらが伝えたかった〝簡単なもの〟とは〝あなたの時間や労力のかからない食べ物でいいので〟という意図。これはこれで違った形の気づかいなのですけどね。気づかいの行き違い。〝食〟がそうさせるのですわ。私にとって、こだわりも関心もない食がこんなことに発展します。困ったもんです。

いいところもありますよ。作ってもらったものに対して文句を言ったことがありません。出してもらったものは残さず食べます。美味しいものは美味しいと解るので素直な感想として「美味しい」は全力で伝えますよ。そう、私は食に関して望むことが他の人より少ないだけなのかもしれないのです。望むことは「3食は食べたい。待つ時間が嫌。食で喧嘩をしたくない」だけだったりします。なので私に「ランチ どこに行く?」、「呑み会の店を予約してくれる?」、「なにか作ろうか?」などの食にまつわるやりとりは、私の個性を理解した上で関わってほしいのです。(なんじゃそりゃ)

レストランに行ったとします。選ぶのが面倒な日はメニューを見ているふりをしています。見ているふりをしながら何を考えているのかというと、「誰と同じにしようかなぁ」と考えるのです。心の中で「Aさんと同じものにしよう」とだけ決めるのです。で、Aさんが「天津飯を」とオーダーしたらに私は「私も」と言うだけなのです。どの店でも、どんなメニューにでも対応する魔法の言葉、それが〝私も〟です。
店員にお薦めを聞くこともあります。お薦めを食べたいのではなく、選ぶのが面倒なだけなのですが、店員は真剣に「魚系ですか肉系ですか」と本気でお薦めしようとしてくるときもあります。私は好き嫌いがないので どっちでもいいのです。この場合は、店員が先に言ったほうに乗ったりします。つまり先に言った「魚系で」となります。逆順で「肉系ですか魚系ですか」と問われたら「肉系」となります。食に関心がないので迷うのが嫌なのです。(なんじゃそりゃ)

ほかの選択方法もあります。財布に小銭が多くなった時は、それがきれいになくなる金額の品を選ぶときもあります。ケチって安いものを食べたいのではないのです。財布が軽くなるほうを望むのです。なので、やたら高いものを食べて、それをたくさんの小銭で払う、なんてこともあります。(なんじゃそりゃ)

早く出てくる品を店員に訊ねることもあります。あっ以前 面白い話がありましたよ。ランチを食べる時間があまりなかったので店員に「早く出てくる定食は何ですか?」と訊ねたら「日替わりが早いですね」というのでそれをオーダーしました。出てきた定食は煮魚定食。「ありゃりゃ」となったのって解ります? 出てくるのは早いですが、食べるのには時間がかかる、骨だらけでした。これはやられましたねぇ。「早く出てくる」と「早く食べ終える」はそりゃ別ですわ。次からは「私が早く食べ終えれる定食は何ですか?」とオーダーしてみようかなぁ。きっと店員は「知らんがな」と思うのでしょうね(笑)

テレビ番組などで見かける〝ラーメン屋の頑固おやじが食べ方までゴチャゴチャ言ってくる店〟なんてのは もってのほかです。タダでも行きたくありません。お金をもらっても行かないでしょう。食に興味がないのにゴチャゴチャ言われるんですよ、こりゃ地獄です。これを私は〝ショクハラ〟と名付けたい。「頑固おやじの…」とか「こだわりの…」とか、嫌な予感しかしませんな。

ほら、ジワジワと米山のことが嫌いになってきたでしょ(笑) まだ続きますよ。

手作りの品はなかなか手ごわいです。クッキーとかカップケーキとか。皆さん、よ~く思い出してください。手作りの品ってこちらから製造を頼んだことってないでしょ。「つくってほしい」と依頼してそれが届くのであれば、それは需要と供給です。手作り品は頼んでもいないのにやって来るのです。そう、これは相手の趣味に付き合わされるのですよ。しかも食べた後の返答は「美味しい~」の一択。これもショクハラ。
これって「キミのためにオリジナルソングをつくってきたんだ」と同じ。しかも〝好きでもない人の作詞作曲〟だったとしたらどうします? 演奏後、どんな感想を言おうかと曲が始まる前から悩むはず。だから手作りは手ごわいのです。

食に関心がない話をすると、「食が身体をつくるんだぞ」とも叱られます。そんなことは知っています。だからビタミン剤を飲みますし、ファスティングもしますし、栄養ドリンクは一切飲みません。
皆さんはレストランで食中毒になったらレストランを訴えますよね。では手作りクッキーで食中毒になったらどうします? 友達を訴えますか? 友達だから許しますか? まれにオフィスには誰からもらったのか解らない手作り品が置いてあったりします。それを平気で食べる人がいます。その場合の食中毒は誰を訴えるのですか? 同じ言葉をお戻ししたい「食が身体をつくるんですよ」と。 

ほら、もう随分 米山のことが嫌いでしょ(笑) もう終わりますからご安心を。

少し視点を変えます。
外国人は「日本のテレビ番組は食べてばかり」って思うそうです。大食い、早食い、大盛り、時短クッキング、食レポ、お取り寄せなどなど。罰ゲームで苦いやら辛いやら、タダで食材を手に入れたとか、どの県境からはソース派が多いとか、あの県ではこれをこんなふうに食べるとか。ふむふむ、なるほど。確かに食べてばっかり。
ちなみに私は、地産地消、フードロス、食育には関心があります。社会の問題だからです。私からしてみれば「大食いに関心はあるが、地産地消には関心がない」ほうが驚きなのですがねぇ。でもね、私はその人に文句を言ったりしませんよ。なぜならばそれは価値観だからです。そう、私の考え方も価値観なのですよ。

この私の価値観は近しい人は知っています。なので私には居酒屋の予約を頼みませんし、手作りクッキーを持ってきません。食にこだわる人と こわだわらない私。これでお互いのよき関係性が築けているのです。

そう、コミュニケーションとは「開示」と「受容」なのです。

開示で物語は始まります。それに対し相手側(もしくはこちら側)がどう反応するかですね。その作用として、人は人を好きになり、人は人を嫌いになり、人は人を受け止める力を手に入れます。

開示してますか? 開示されていますか? 
物語を始めようとしていますか?

今回も大いに横道にそれましたね。本題のあとかたもないです。いやぁ~ 文章だけで人から嫌われるのって結構 難しかったりするんですよぉ。皆さんも自己開示してみてはどうですか? 嫌われても責任は取れませんが(なんじゃそりゃ)
~以上~

・・・
〝正解のない問い〟ですので、残念ながらどこにもたどり着きません。思いを巡らす中に、「ひらめく予感」や、「モノを言いたくなる自分」にたどり着ければ、それを〝変化〟と捉えたいなぁ、と。結局、モヤモヤ製造所みたいになっているかもしれませんが(笑)

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このような問いがまだまだ続きます。大丈夫なのだろうか?(笑) 
第6問目は『外国籍にルーツを持つ人々と日本語しか話せない日本人が、社会教育(学校教育以外ぐらいのザックリ感)の場でともに学ぶプログラムのネタを教えてください』です。〝情報提供〟のようになってしまうと〝正解のない問い〟からはズレますので〝奇想天外なアイデア出し〟のような感じの返信になるかと。

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