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カバー曲が好きなわけ -Patrick Bruel, « Paris, je t’aime d’amour »


カバー

カバーが好きです。
理由のひとつは、モトウタとは違う味わいを楽しめるところ。
好例は徳永英明さんでしょう。
女性歌手のモトウタを、徳永さんが歌うと、ときには女性以上にセクシーになったりして、素晴らしい。

もうひとつの理由が、昔の歌を「再発見」できるところ。
「歌を消費して、飽きたら忘却のゴミ箱にポイするの、やめようよ。」
そんな、カバー製作者の思いが聞こえてくるようです。

実際、ある歌を気軽にポイ捨てすることは、その歌を好きになった自分の心を破棄してしまうことにつながります。別言すれば、ポイ捨てしないで大事にしておくことは、自分自身への優しさにつながります。

またカバー曲を通じて、わたしたちは「歌の不思議」に気づきます。
歌は、歌い手の専有物にも、聴き手の専有物にもなりません。だって空気みたいなものだから。太陽みたいなものだから。
だから誰も「飽きたらポイ」できないのです、原理的には。
プレイリストに加えたり、プレイリストから削除したりする作業が、あるいは、著作権をめぐる〈大人のやりとり〉が、歌の本質を現代人に誤解させているのではないでしょうか。

1930年の名曲を2002年にカバー

さて今回、ご紹介したいのは、パトリック・ブリュエル(Patrick Bruel)が、2002年にカバーした« Paris, je t’aime d’amour »です。ちなみにブリュエルはフランス植民地時代のアルジェリアで生まれ、アルジェリア独立後にパリに移り住んだシンガーソングライターです。

モトウタは1930年にモリス・シュヴァリエ(Maurice Chevalier)が歌いました。
1930年、所謂「戦間期」ですが、当時の人たちはまさか第2次世界大戦が起きるなんて想像すらしていなくて、この明るい歌をただただ楽しんで口ずさんでいたのでしょう。

歌詞

歌詞の前半を意訳してみました。
軽妙な楽しい小唄だと思うので、そんな感じで訳しました。

「シャンソンは文学的で、品があって、重々しく、感動的でなければならない」という信念をお持ちの方、もしもいらっしゃったらゴメンナサイ。

でもブリュエルは仰々しく声を震わせて、涙ながらに歌っているわけではありません。もっとふつうに自然体で歌っています。イメージとしては、スニーカーにGパンみたいな感じです。

だから例えば出だしの  « Ô »
これをどう訳すか。
僕の語感では、日本語の「おお」は、かなり芝居がかっていて大袈裟すぎる感じがします。それゆえたしかにフランス語の音ではooと言っているのですが、僕は「ああ」と訳しました。それも平仮名で。漢字の「嗚呼」ではなく。
あるいは  « mon Paris »
NHK的に「私のパリ」と訳すか、ワイルドに「俺のパリ」と訳すか。
でも歌の主人公がちょっと軟弱であることを考慮に入れて、「僕のパリ」と訳しました。
いかがでしょうか。
 

Ô mon Paris ville idéale
(ああ、僕のパリ、カンペキな街だよ)
Il faut quitter dès ce soir
(でもお別れしなきゃいけないんだ、今夜)
Adieu, ma belle capitale,
(さらば、うるわしのみやこ)
Adieu, non, au revoir !
(さらば、いやちがう、『じゃあね、また!』)
 
Paris je t'aime, je t'aime, je t'aime
(パリ、好き、好き、好き)
Avec ivresse,
(君に夢中さ)
Comme une maîtresse !
(まるで愛人さ)
Tu m'oublieras bien vite et pourtant
(君はすぐ僕のこと忘れちゃうんだろ、でも)
Mon cœur est tout chaviré en te quittant!
(君と別れるんで、僕はフラフラだよ)
Je peux te dire
(君に言えるのはね)
qu'avec ton sourire
(そのほほえみでもって)
Tu m'as pris l'âme
(君は僕の心を奪ったってことだ)
Ainsi qu'une femme
(まるで女)
Tout en moi est à toi pour toujours
(僕のすべては君のもの、永遠に)
Paris je t'aime, oui ! d'amour !
(パリ、好き、そう!大好き!)
 


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