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軍人文化を女子教育に応用するーSemper Fi


Semper Fi

日頃、私は革命に失敗した老革命家みたいに、荒涼とした心持ちで過ごしている。
今年の年末年始も独り寂しく過ごすのかと思いきや、大晦日は、かつて私がA女子短大に勤めていたときの教え子、通称トニー(現アラサー女子)が遊びに来てくれた。
どうやら「西願が淋しそうだから、かまってあげよう」とでも思ってくださったのだろう。
なにやら照れくさい。
だが久しぶりに私の胸はあたたかいもので満たされていた。

小池栄子似のトニーは、強靭な生命力の持ち主である。一緒にいるだけでエネルギーを分けてもらえる気がする。彼女の同級生で仲良しの、これまたパワフルな、剛力彩芽似の通称ジョーにも声をかけたのだが、仕事に忙しく残念ながら欠席だ。(お~い。社畜になるなよな~。)

トニーに頼んで、我が家の暖炉に火をつけてもらう。
彼女は何でも器用にこなす。

ともに酒を飲み交わす。ピンクのおしゃれなスパークリングワインから始まって、本物の美味しいシャンパン、そしてゼミの長姉(私がA短に就任して初めて教えた学生)が贈ってくれた日本酒「松みどり」。

デザートにハーゲンダッツのラムレーズンを食べると、トニーはソファのうえで猫のように丸くなって寝てしまった。
私は暖炉の周囲の明かりだけを残し、2階から1階のリビングに客用の布団とマットレスを降ろすと、彼女を起こし、横におなりと促した。彼女は「うん」とうなずき、静かに布団にすべりこむ。

そして私は2階の自分の寝室へ。

信頼されているのを感じる。嬉しい。
西願ゼミと米軍海兵隊のモットーは同じだ。Semper Fi(常に信頼を)。

翌朝、トニーは松前漬けと西願特製湯豆腐の旨さを発見し、また「松みどり」。
一升瓶を最後の一滴まで飲み干してくれた。
おそらく飲む酒量も、海兵隊レベルなのだろう。

信頼関係

教育はその根底に信頼関係が必要不可欠だ。
例えば私が「1793年初夏、パリで議会に対する民衆騒擾が起きました」と授業で教えたとする。もしも学生が私を信頼できなければ、この一文を、すべて真実か否か、自分で調べなければならなくなる。それゆえ信頼がないところに教育はありえない。

学生は教師を信頼すべきだし、教師は学生に信頼されねばならない。
教師を疑う学生は、学ぶことができない学生である。
また教師は「教育的配慮」という口実で真実を隠蔽してはいけない。
たとえ学生が傷ついても、たとえ学校がつぶれても、真実に基礎を置く信頼関係のほうが大事である。傷は信頼関係によって後に癒されうるが、その逆は無いからである。

A短は、志願者数の減少から来る存立の危機を、教育の管理と支配を徹底することで乗り越えようとした。学長は自らの方針に批判的な教員を個別に呼び出して圧力をかけた。学内から信頼関係は消失した。そして昨年、そんなA短はつぶれた。
他方、西願ゼミは続いている。

Once a Marine, Always a Marine

自分の履歴に意味を与えるのも与えないのも、自分自身だ。
「所詮、○○出身なんだから、こんなもんよ」と、現在の自分を自嘲することもできるが、
「○○出身にもかかわらず、ここまで成し遂げた」と、自信を持つこともできるし、
「○○出身の名にかけて、意地でも頑張ろう」と、自分を励ますこともできる。

ちなみに米軍海兵隊では、Once a Marine, Always a Marineと言うのだそうだ。その意味は「一度海兵隊に入隊したなら、除隊しようとも一生、海兵隊員としての誇りを忘れず、アメリカ国民の模範たれ」である。

自分の過去に誇りを持つことは大事である。
少なくとも私はトニーの教師であった過去に、誇りを持っている。

トニー、感謝しているよ。
こんど、ジョーにも時間を作ってもらって、また会おう。

常に信頼を。

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