見出し画像

「若者らしさ」の誕生 (4)

前回は、ナポレオンのイメージが若者らしさの誕生に及ぼした影響を検討しました(復習は以下のリンクで)。

II-5 ナポレオンの栄光に群がるものども

II-5-A)七月王政

1830年、七月革命によって復古王政は倒され、七月王政が始まります。
七月王政はナポレオンの人気にあやかろうと思いつきました。
そしてナポレオンのファンから支持されるため、
ナポレオンの勝利を記念する凱旋門を完成し、
ナポレオンの遺骸をフランスに引き取りました。
これを記念して、ユゴーはナポレオンを賛美する『皇帝の帰還』という詩を書きました。

「あなたは見るのでしょう。おお、偉大なる帝国の長よ!
民衆と兵士らがひざまずくのを。
しかしあなたは彼らに話しかけるためにかがむことはできない。
彼らに、余はおまえたちに満足している、と言うために」。


II-5-B)ルイ=ナポレオンの登場

・意気投合
1848年、二月革命が七月王政を倒し、新政府が発足しました。
新政府は大統領の選挙をしようと唱えました。
このときユゴーを、ナポレオンの甥っ子であるルイ=ナポレオンが訪ねました。
二人は意気投合し、それからユゴーは自分の新聞を使って、ルイ=ナポレオンのための選挙キャンペーンを始めました。
結果、ルイ=ナポレオンが大統領に選ばれました。
民衆は、あの皇帝ナポレオン1世の甥っ子ならば、再びフランスに栄光をもたらしてくれるだろうと思い、ルイ=ナポレオンに投票したのです。

・仲たがい
しかし大統領ルイ=ナポレオンとユゴーの関係は、急速に冷めていきました。
ユゴーが自分の新聞で大統領を批判すると、大統領は新聞を発禁処分しました。
それにもかかわらずユゴーが批判を続けるので、とうとう国外追放に処せられました。
ユゴーは裏切られたのです。

・悔恨と『レ・ミゼラブル』
ユゴーは、皇帝ナポレオン1世という虎の威を借りる狐の、ルイ=ナポレオンを大統領に推薦した自分の浅はかさを悔やみました。

そして彼は小説を書きました。
それが『レ・ミゼラブル』(1862)です。
この小説の中で、皇帝ナポレオンは優秀な人物として描かれますが、大事なのは個人の能力ではなく、歴史の流れだとされています。
かくしてユゴーは、人間の思惑の外にある歴史の流れを重視し、ある意味、歴史の高みから人間界を見下ろすことで、ナポレオンを客観視できるようになったのです。
つまりもはやナポレオンを崇めなくても憎まなくてもよくなった。

そしてユゴーは、歴史の流れの先は、即ち未来は、みんなの幸福のための政治をする共和政にあると唱えました。

ユゴーの人生は、苦しみを重ね、意見の変更を重ね、経験を重ね、思索を重ねた人生でした。
けれど常に現在を疑問視したユゴーは、年齢を重ねても、常に若者らしかった、とは言えないでしょうか。


小まとめ、あるいは言い残したこと

21世紀の日本の若者は若者らしくないのだそうです。
さまざまな原因があると思いますが、フランスの歴史を振り返って若者らしさの謎を探るうち、1つわかったことがあります。

若者らしさとは、現在の自分と現在の社会に対する否定のことである。
現在のすべてに絶望する場所からこそ、若者らしさは生まれる。
そんな場所で、不安と孤独を見つめることによってのみ、若者らしさは生まれる。

ですから21世紀の日本で若者らしさが消失したということは、そんな場所がなくなったということなのでしょう。
それが悪いことなのかどうか、僕にはわかりません。
だから僕は若者に向かって「若者らしくあれ」と説教はしません。

でもなんだか、ちょっぴり、さみしいな。


【参考文献】
剣持久木編著『よくわかるフランス近現代史』ミネルヴァ書房、2018年。
Natalie PETITEAU, Napoléon, de la mythologie à l’histoire, Paris, Points, 2004.





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?