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「若者らしさ」の誕生 (2)

II-3 死後の大逆転

・シャトーブリアン
1821年、ナポレオンが流刑地のセント=ヘレナ島で死ぬと、ひとびとは彼を攻撃するのをやめ、称賛するようになります。
例えばシャトーブリアン(1768-1848)。
1814年には次のようにナポレオンを批判していました。
ナポレオンは悪の天才だ。彼は破壊のために生まれた。人類の幸せを憎み、人々を腐敗した。
ところがナポレオンが死ぬと、シャトーブリアンは次のように書きました。

「すべてはナポレオンと共に終わったのではなかろうか」。
「彼以外に、どんな人物が興味を引き得るのか。あのような人物のあとで、誰が、何が問題になるのか」。
「彼の微笑みは優しく美しかった。目が素晴らしかった」。

・回想録の大ヒット
本屋で見かける本も、ナポレオンを非難するものから、ナポレオンを懐かしく想うものに変わっていきました。
当時、大ヒットしたのがラス・カーズの『セント=ヘレナ日記』でした。
ラス・カーズという、セント=ヘレナ島でナポレオンと生活を共にした男の回想録です。

この回想録には、ナポレオンがラス・カーズに語りかける場面があります。
ナポレオンは言います。

「結局のところ、彼らが私を削除し、抹殺し、歪曲しようとしても無駄だろう。彼らが私を完全に消し去ることは困難だろう。フランスの歴史家は帝政を扱うことを余儀なくされるだろう」。
「嗚呼、おそらく歴史家は私のうちに野心を、多くの野心を見出すことだろう。だがそれは最も偉大で、最も気高い野心、ついには理性の帝国を、そして人間のあらゆる能力の完全な行使と完全な享受を確立し、聖なるものにしたいという野心なのだった。そしてこの点で歴史家はおそらく、そのような野心が達成されなかったことを遺憾に思わざるを得ないだろう」。

このナポレオンのイメージは重要です。
ナポレオンは未来を信じています。
いまは落ちぶれたけれど、未来は必ず自分をわかってくれるはずだ、と。
ところで未来とは若者のことです。現在の若者が未来の「歴史家」になるわけですから。
それゆえナポレオンは若者への期待を表明しているのです。

・ユゴー
『レ・ミゼラブル』で有名なヴィクトル・ユゴー(1802-1885)のケースを見てみましょう。
彼の父親は、レオポルトという、陽気で道楽好きな軍人でした。
ナポレオンのおかげで、出世して貴族の位まで与えられました。
レオポルトの結婚相手はソフィ。
彼女は王党派で、まじめなカトリックでした。
水と油の二人、夫婦仲はよくありません。
その二人から生まれたのが、ヴィクトルでした。

子供ができても、レオポルトはそとに情婦をつくります。
一方ソフィは、幼なじみで反ナポレオン派のラオリと仲良くなります。
ところがラオリはナポレオンに処刑されてしまいます。
ソフィは共同墓地までラオリの遺骸に付き添いました。

さてヴィクトル・ユゴーは、母親の影響もあって、子供のころはナポレオンを憎みました。
しかしナポレオンの死後、そして疎遠になっていたけれど自分の結婚を契機に和解した父親レオポルトの死後、彼はナポレオンを賛美し始めます。
『子供時代の思い出』という詩を引用しましょう。

「お祭りの日、パンテオンで、僕はナポレオンが通るのを見た」。
「僕を驚かせるのは、道に上がった歓声が僕の記憶からはもう消えているのに、それでも栄光のファンファーレのなか、喧騒のなか、この最高の人間(ナポレオン)が黙って厳かな様子で、まるで青銅時代の神のように、過ぎていったのを見たという事実、それが僕の心の中に刻まれていることだ」。

驚かされるのは記憶の不思議です。
子供時代の彼は、ナポレオンが嫌いだったはずです。
けれど今の気持ちの変化に伴い、昔の記憶までもが変化したのです。


さて次回は19世紀の小説に描かれた、若者らしい若者の特徴を解明します。乞う、ご期待。

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