見出し画像

モクレンの美しさに意味はない -懐かしのディスコ曲「モクレンよ、永遠にMagnolias For Ever」


先日、あるnoteで満開のモクレンの写真を見た。
ふと思い出したのは、「モクレンよ、永遠にMagnolias For Ever」というクロクロ(クロード・フランソワ)の歌であった。

クロード・フランソワ

クロクロの曲は夏のブルターニュの浜辺でしばしば流れていた。
(フランスの海岸では個人がラジカセなどで音楽を流すことが禁じられている。その代わり、特定の場所でのみ公認施設が〈みんなが知っている〉歌謡曲を流していた。)

エール・フランスで観たコメディ映画「ポディウムPodium」で、クロクロがシナトラの「マイ・ウエイMy way」の原曲を歌っていたのを知った。

その後、クロクロの伝記映画「最後のマイ・ウエイCloclo」で、彼が人間としては、しょうもないダメなヤツだったことを知った。家庭持ちの雰囲気を消し去ろうと、息子ふたりのうち、次男の存在を隠蔽しつづけるとか。異常ですよ。

しかし、楽曲はどれもこれも素晴らしい。
彼の特徴は、何を歌わせても甘い哀愁を感じさせるところではなかろうか。
ドナドナDonadona」とかね。
日本語バージョンでは美味しそうな仔牛がテーマだったけど、フランス語バージョンでは僕のような愛くるしい少年がテーマでしたっけwww。


甘く哀しく激しいディスコ曲

「モクレンよ、永遠に」はディスコ曲である。
でも甘い哀愁を感じさせる出来になっている。
すごいのは、彼は1939年生まれだから、この曲の発表当時は40歳くらい。
にもかかわらず、いつも新しいものを追いかけて、ここまで激しく踊って息を切らすことなく伸びやかに歌う。
たくさん練習したんだろうな。自分がフランスのエンターテイメントを背負っている、そんなプロとしての自覚のなせる技なのでしょうね(日本にも郷ひろみさんとかいらっしゃるけど)。

歌詞にはたいした意味はありません。
むしろメロディーとリズムとダンスが大事な曲だと思います。
そんなわけで前半部分、ちょっとだけ意訳を。

Dites-lui que je suis comme elle
(彼女に言ってください、僕は彼女に似ていて)
Que j’aime toujours les chansons
(僕は好きだ)
Qui parlent d’amour et d’hirondelles
(愛、ツバメ)
De chagrin, de vent et de frissons
(悲しみ、風、そして光のきらめきを物語る歌が)

Dites-lui que je pense à elle
(彼女に言ってください、僕は彼女を想っていて)
Quand on me parle de magnolias
(ひとがモクレンのことを話すとき)
Quand j’entends ces musiques nouvelles
(僕がこういう新しい音楽を聴いて)
Qui résonnent comme des bruits de combats
(それが戦いの音のように響くとき)


静かでおしゃれなカバー

見つけたカバー曲は、とても〈いまふう〉。
昼下がりの、静かでおしゃれなカフェのBGMにかかっていてもおかしくない仕上がりです。
批評性もそこそこにあって、悪くない。


やっぱり優れたカバー曲には批評性がありますよね。
日本でも、高度経済成長期やバブル期の楽曲を、ゆとり世代が、ただリスペクトするだけではなくて、もちろんただコピーするだけでもなくて、距離を置きながらも、懐の深い愛情とともに歌いなおすような、そんなカバー曲を聴きたいなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?