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「いなりずし白書」をもう一度

子どもの頃、いなりずしは苦手であった。
甘すぎる、ずっとそう思っていた。
しかし嗜好は変わるものである。
いまじゃあ、いなりずしに対してポジティブになった。

でも変化とは残酷でもある。
これまで僕は幾度となく自分の意見を変えてきた。
「転向」か、「裏切り」か。
ごめんね、セロリさん。ガキだった僕にとって、あなたは強烈すぎた。でもいまじゃあ、大好きだよ。
許しておくれ、菜の花さん。苦いが美味いと分かるには時間が必要だったんだ。ねえ、僕の若さゆえの過ちを許しておくれよ。君こそ僕の春。
茶わん蒸しさん、誤解していただけなんだよ。だしを味わう余裕がなかったんだ。あの頃の僕にとって、食べるとはおなか一杯になることだった。
もんじゃ焼きさん、そんなに悲しそうな顔をしないで。いろいろあったけど最後は分かりあえたじゃあないか。君が遊び半分じゃあないことはよく分かったから。

さて、いなりずしに話を戻そう。
きっかけは数年前、滝川クリステル似の友人の御母堂から頂戴した、いなりずしであった。
「おいしいいなりずしは存在しうる」、そのことを私は学んだ。

そして一昨日だった。たまたま、たけのこを衝動買いした。
どうやって食べようかと考えて、これまたふと思った。
たけのこご飯を炊いて、いなりずしにしてみたらどうだろう。

とはいえ、僕にとっていなりずしの作成は、おぎゃあと生まれてからこのかた、初めての経験である。つまり人生初。
初体験だ。
もちろん怖い。
そこで、経験豊富なローストチキン屋のマダムに、どうしたものかと相談に行った。
「紅生姜と胡麻を御飯に混ぜるとおいしいよ」「油揚げが破けることを想定して、ちょっと多めに買っておくといいよ」と、ご教示いただく。

そして我が家の近くのお豆腐屋さんへ。
お豆腐屋さんのお兄さんに「いなりずしを作りたいのですが」と相談すると、「それなら、にがり油揚げよりも、ふつうの油揚げがいいですね」と教えられる。
さすがプロだ。

それにしても食の業界のひとって、教育熱心な方が多い。
むかしパリに住んでいたとき、ボン・マルシェ・デパートの食品館に行って、肉売り場で「ポトフを作りたいのですが、そのための肉を下さい」と言ったら、肉売り場の大将がいろいろ教えてくれて、最後には奥から牛骨まで出してきて下さって、「これオマケだからね。最低3時間、煮込むんだよ」と。


さて、いなりずし。
ワクワク、ワクワク。
しょっぱすぎず、あますぎない、自分好みの調味料をつくって、お揚げに煮汁をたっぷり吸わせて。
大成功でした。ほんと、ジューシー。

滝川クリステル似の友人にも食べてもらいました。
バクバクモグモグ、すぐに食べちゃったから、たぶん美味しかったのではないかと思います(おなかが減っていただけなのかもしれないけど)。

なんとなくありきたりの毎日に、なんとなく飽きがきて、超ミニサイズの革命を起こしたいとき、こんなふうに「人生初」をしてみるのも一興ではないかなあと思った次第。

だって、だれしも、うすのろの日常にちょっと逆らいたくなるときがあるから。
ほんのちょっとドキドキしたりトキメキを感じたりしたくなるときがあるから。
でもあくまでも「ほんのちょっと」であって、たくさんではない。
日常を全面的に破壊するだけのパワーも覚悟もない。
色々な方々から支えられ生かされている身の上だから。
だからこんなふうにいなりずしで「人生初」をしたりして、日常を消化して生きていくのも、まあ、悪くないでしょ。
静かに穏やかに。春の陽だまりのように。
それも人生。

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