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トニーもしくは『無限の住人―Immortal』


友人

小池栄子さんに似た友人がいる。
ニックネームは「トニー」。
なぜ「トニー」なのかは知らない。

一昨日の夜、一緒に酒を飲んだ。
連休なのに僕がひとりぼっちだったので、おそらく不憫に思って、かまってくれたのだろう。

彼女と僕とでは、共通点がまったくと言っていいほど無い。
彼女の人生は壮絶で、僕なんかとは比べものにならない。
彼女に比べれば、僕なんか「おこちゃま」だ。
それに、性格だってぜんぜん違う。
僕は熱しやすく単純だけど、彼女は思慮深い。
でも彼女に悲しいことがあれば、僕は泣くだろう。

『無限の住人―Immortal』

さて、トニーと酒を飲み交わした翌日、アマゾンプライムで『無限の住人―Immortal』をイッキ見した。
なかなかよくできたアニメで、登場人物たちが、みんな、不条理である。
登場人物たちは、社会的な枠組み(徳川幕府が支配する身分制)のなか、ときには悩みながら、ときには偶然に導かれ、ときには自我に固執して、行動する。必ずしも一貫性がない。倫理面でも、観ている方が、何が善で何が悪か分からなくなってくる。おそらく登場人物たちも分かっていない。

例えば、悪役として登場する天津影久だが、幾度も自分は焦りすぎてはいないかと自問する。そして当初の野心に、自ら修正を加えていく。
また天津に両親を殺された浅野凜は復讐を誓うが、天津の理想を聞いているうちに復讐の誓いに迷いが生じる。
また吐鉤群は幕府の人間として登場する。権威主義的なので、身分制社会の象徴かと思いきや、公儀などほったらかしにして、私怨と我執にまみれて戦う。

それゆえ観ている側は、チャンバラのアクションシーンでハラハラドキドキするだけではなく、登場人物たちの行動にハラハラドキドキできる。
次にどう行動するか、先が読めないわけだ。

このハラハラドキドキに比べれば、首がぽんぽん飛んだり、手足がくっついたりはなれたりするのは、むしろ滑稽だった。

興味深いのは、登場人物たちの人生があまりにも僕の人生と、かけはなれていて、ぜんぜん違うにもかかわらず、なんとなく「わかる」ところである。

僕と似た登場人物なんて、ひとりもいやしない。(敢えてどうしても似たひとを探せば、宗理先生ぐらいかなあ)。

つまり登場人物たちと、ほぼほぼ共通点はないのに、それにもかかわらず共感できる。トニーとの関係と同じだ。
そこが不思議で、そこが良かった。

人生の夏

トニーは30代だ。
10代、20代と、一生懸命、生きてきたから、自分で自分の長所と短所をちゃんとわかっている。経験に裏づけられた、確かな自信がある。
30代はそのうえにたって、歩いていけば良いと思う。
もしも歩き疲れたら、無理をせずに適宜、休憩をとること。(僕から言われなくても分かっているだろうけど。)

社会的には、今後ますます「若さ」が有効ではなくなるだろうけれど、そのぶん頼もしいと期待されていると思ってくれれば、それでよろしい。

次の転機は40代半ばくらいにやってくるだろうけど、それまでは自分らしく冒険や探検を楽しんでくれれば、嬉しい。

是非、人生の夏を謳歌して、思いっきり汗を流してほしい。

僕はそろそろ人生の冬支度だ。

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