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パスタ談義
ナポリタンがパスタか!?
あるとき、滝川クリステル似の友人が言った。
「わたし、パスタ、好きよ。例えばナポリタンとか。」
は?
耳を疑った。
ナポリタンが、あの和製洋食の十八番、あの昭和の喫茶店ランチの定番、アレがパスタか?
ちがう!そう思った。
そして、べっぴんさんに媚びるよりも、もっと大事なことがある、とも思った。
だから言った。
僕は貴女を尊敬している。
だから貴女にもまた、自尊心を持ってもらいたい。
自分を尊ぶとは、自分の身となるもの、自分の血となり肉となるもの、つまり自分が食べるものを尊ぶということだ。つまりはパスタを、そしてパスタを生んだイタリアの文化を尊ぶということだ。
確かにイタリア料理は「隙」が多く、完成されたフランス料理に比べて、アレンジしやすい。さすがの日本人もクロックムッシュウに青のりと鰹節をかけることはないが、ピザには平気で照り焼きチキンをトッピングする。つまりイタリア料理は侵略されやすい。その意味でイタリア料理は弱者なのだ。しかし相手が弱者だからといって、何をしても良いということにはならないはず。
そもそもスパゲティを鉄板で焼くなんて、イタリア人にしてみたら、パスタの惨殺ではないかしらん?シチリアのマフィアもここまで残酷ではなかった、みたいな。
例えば「ナポリタン」を「焦がしケチャップやきそば」に改称したらどうだろう?
誤解しないでほしい。べつにアレが美味しくないと主張しているのではない。ただ、アレをイタリアのパスタという範疇に分類することへの違和感を僕は表明しているのだ。細かいことにうるさい、こむずかしい、めんどうくさい男だと思われたら、すまない。これが僕だ。
そもそもパスタとは何ぞや。
フェリーニの映画で、マストロヤンニが友達と酔っ払って帰宅して「スパゲティならあるよ」とか言っていたけれど、パスタとはそんなふうに、夜食の御茶漬みたいな感覚で食するものだと思う。
つまり軽食として、ちゃちゃちゃっとつくるもの。
だから基本、少ない種類の材料でつくる。
あれやこれや盛らないのがポイントだ。
ウィンナーとピーマンと玉ねぎにトマトケチャップをこねくりまわして、何になる?
梅干しと鮭とタラコにウースターソースをかけた御茶漬けなんて想像できないじゃないか?
シンプルにいくべきなのだ。
まずは、なにかひとつ、伝えたい味、ないし香りを、決断する。
ひとつだけでいい。
たったひとつ。
そしてあとはその大切なひとつをひきたたせるためだけに、すべてを構成する。
大切なひとつ。
そう、世の中に、大切なものは、そんなにたくさんはない。
ペペロンチーノではニンニクだし、ジェノベーゼならバジリコだ。
レモンパスタ
友人は、微笑みながら、屈託なく言った。
「じゃあ、わたし、パスタなら、レモンとクリームのパスタが好きよ。以前、レストランで食べた。美味しかった。また、食べたいなあ。」
なんだかんだ食べたいと言われれば、食べさせてあげるが世の情け。
コロナ禍では外食も躊躇われる。
カモナマイハウス。
僕がつくろう。
しかし大問題がひとつあった。
僕は生まれてからいちどもレモンパスタなるものを食したことがなかったのである。
しかしパスタ=御茶漬説を立証するためにも、自分の家でちゃちゃちゃっとつくらなければ…。
そう思って調べた。そして2、3回ほど試作して、納得のいく味になった。
では研究の成果を御紹介しましょう。
コツはスパゲティを茹でるとき、塩を多めに入れること。
そして茹でているあいだに、レモンの汁をしぼり、レモンの皮をおろします。レモンは防カビ剤不使用のものがよいでしょう。
スパゲティが茹であがったら、お湯を捨てたばかりの熱い鍋に、生クリームとバターとレモン汁を入れます。さらにそこにスパゲティを入れます。混ぜます。そしてお皿に盛りつけたら、おろしたレモンの皮をふわぁとふりかけます。
ね、かんたんでしょ?
最も大切なのは、爽やかなレモンの香り。
それを、濃厚な生クリームとバターがひきたたせます。
ごくごく上品なできばえ。それでいて素朴。
譬えて言えば、シックな黒のミニのワンピ。
パスタたるもの、かくありたい。
是非、お試しください。
友人の、僕のレモンパスタに対する評価は花丸。
僕は、リスペクトの気持ちさえ彼女に伝われば、それで嬉しい。
そしてもしもパスタを頬張る彼女の笑顔が、なんらかのかたちで世界の平和を守ることにつながれば、僥倖である。
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