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昭和「もっともっと欲しい」、平成「もっともっと捨てねば」。では令和は?

(2016/04/07の手帖より)
日本には「昭和」というひとつの時代がありました。
それは、第二次世界大戦と戦後復興、経済成長の時代でした。
戦争や工事をすれば仕事が生まれ、お金がもらえ、欲しいものが手に入る、もっといいものが欲しいと言われて作る仕事が儲かる。そういう時代でした。
モノがなかった戦後の町をモノで埋め尽くして「豊かな国、日本」を生み出したのです。

そんな時代が終わりを迎えたのは30年ほど前です。バブル崩壊により「お金さえあればなんでも手に入る」という幻想が揺らぎました。お金が思うように手に入らなくなったのです。
お金がないからみんなが叫びます「もっと安くしろ」。「安いから買う」…必然的に「安かろう悪かろう」という方向へ流れ、労働はますます搾取され、お金は労働者の手に渡らなくなり悪循環へと突き進みます。
粗悪なモノが増えて、モノが溢れても幸せになれず、でも少ないお金で手に入れたモノを手放すこともできず、狭い建物にガラクタがあふれ返り身動きがとれないモヤモヤが日本中に広まってゆきました。

そして5年前。
東日本大震災が起きました。
「昭和」世代は「さあ工事だ!工事だ!作るぞ!作るぞ!」とはりきっています。
でも一方で、フクシマの原発事故は、なにかを作ること、成長し続けることに対する日本人の考え方を変えたと思うのです。

例えば。
ここからは私個人の話です。
地震が起きたとき、私は宿泊施設である実家の厨房にいて、そこは天井いっぱいまで皿の詰め込まれたガラス戸棚で囲まれていました。
幸い私も皿もガラス戸も無事だったのですが「このままじゃいけない!」とその日のうちに「片づける」行動を開始。
5年経った今でも片づける手は止まっていません。
売れるものは売り、寄付できるものは寄付し、返せるものは返し、残ったものはひたすら分別廃棄。
それは「昭和」を生きた世代の「もっともっと」の後始末。
昭和世代に「使えるのに捨てるなんてとんでもない!」「罰当たり!」とののしられながらも、「いつかああいう災害で建物ごと壊れたら、いっしょくたの産廃の山になる。地球のために、今できるだけ分別して活かせるものは活かせるようにしておかねば!」と分別し続けました。

その作業の中で私は悟ったのです「私は片づけるために生まれてきたのだ」と。
「昭和」世代の後始末は、私たち世代の運命なのだと。

ふと手元をみると。
私が残すのは、どれも手仕事で丁寧に作られた古い器や道具ばかりだと気づきました。
「安かろう悪かろう」は残らなかったのです。
「昭和」を知らない世代にも受け継いでほしい宝物を私は、たくさんのモノの山から掘り出して残していたのです。

さて。
こんなふうに。
これから私たち平成を生きる世代の「もっともっと」は親世代とは違っていくはずです。
「もっと減らしたい、もっと絞り込みたい、もっとコンパクトにしたい」。
もっともっと捨てねば」へとシフトしてるような気がします。

まだ日本の政界は「昭和」世代中心なので、目に見えないかもしれないけれど「もっともっと」が私たち市民の中で変わりつつあるかもしれないのです。
ある意味では、拡大から縮小という方向なのかもしれません。
「昭和」世代にはおそろしくて仕方ない方向でしょうけど。

「昭和」世代の後始末を経験した私は「豊かさ」とは身の丈にあった、もっと小さな家、もっとシンプルな暮らしにあると感じているのです。
もっと小さな家だったら生活費安くなって、もう少し仕事減らして睡眠時間増やしても大丈夫かな、休日を週一日作っても大丈夫かな、と。

そして。
今の若い世代は、生まれたときから身の丈を知っている子どもがたくさんいるはずです。
いつか「昭和」世代が政界から消えたとき、きっと彼らが日本を世界を変えて行ってくれると思います。
私は結婚も出産もしていませんが、未来を生きる彼らのためにやれることがあって幸せです。
ご先祖様の残したものを必要としている人のもとへ送り出せて幸せです。


↑上記の文章は、令和になる3年ほど前に書いたものです。
その後、私は実家をなんとか「処分費用込みで売却」し、その範囲で買える、小さな土地に建つ築45年以上の小さな「昭和住宅」に母と移り住みました。

実際に「小さな家」に引越したことで年間100万円支出が減りました。
「人生100年時代に、40代で毎年100万の支出削減は、5千万稼ぐ以上の価値あるシゴトをしたのだ」と自分に言い聞かせています。

「片付けのために生まれてきた自分」が結婚も出産もせず、実家片付けに人生かけた結果、年収200万程度の収入しかなく下層レベルで生きていくことになっていても、そこには、実際には何千万ものお金に代わる価値があると信じて。

さて。
昭和は「もっともっと欲しい」「もっともっと増やせ」。平成は「もっともっと捨てねば」というお話でした。

では令和は?
令和はどういう時代になるのでしょう?

まだ世間は「もっともっと捨てねば」の延長線上にいるのは確かです。
でも私はそこ終わってるので…現状をお伝えすると…「自然回帰」かもしれませんね。
もっともっと自然を感じたい」。

新しくパートとして働き始めた仕事は、太陽のもと、寒風吹きすさぶ外での仕事です。
念願の。
ビタミンD作り放題できる生活♪☺️
停電してもある程度できる仕事♪

そして。
普段着と仕事着の境界のない仕事♪
ノーメイクや白髪でも、逆に好きな髪色でもできる仕事♪
車なくても働くことができる仕事♪
…これって。
金額換算したら、結構お金の面で負担軽いってわかりますか?
年100万くらい、また削減できちゃいますよね!?😁
ということは。
年収少なくて貧乏でも、実は心豊かな生活かもしれません。

実際に動くお金だけが「豊かさ」を現しているとは限らないのです。
お金じゃない。モノじゃない。心の豊かさ。
そこに「もっともっと」していくのが未来
ではないでしょうか。

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