ニューディール政策と石木ダム

長崎県石木ダムは明らかに建設するべきではないのに、屁理屈で実行されようとしている。何年も住んでいる住民が座り込みで反対しているという事実だけで、すべきではない理由としては十分である。

ダムが必要とされている隣の佐世保市は水不足も30年近くなく、人口も全国トップレベルで減少していることから、必要性を感じている市民は少ない。必要のないものをここまで押し切る姿勢をみると、土木関係者との癒着が疑われるが明白な証拠はない。

ただ、全国的な傾向として公共工事が多いのは土木関係者の仕事を増やすことを目的としているのは明らかである。ニューディール政策の失敗を知らない議員たちが強行しているのであろう。調べてみると面白いが、世界的に有名なニューディール政策は、初期しか成功していない。ケインズすら後半は反対している。

根拠が薄い大型ダム建設

ダム協会のHP(http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/JyuniMatome.cgi)を見てみると、限界と主張されている山ノ田水源地は比較的新しいダムであることがわかる。ダム限界の理由としてバルブの老朽化のためと言われているが、バルブのみ交換することはできないのだろうか。できないのならそこまで低い技術でなぜ大きなダムを作ったのか甚だ疑問である。技術がないなら、他県の業者に頼むことはできないのだろうか。実際は技術がないことを認めたくないだけだろう。

仕事のための仕事は市民の弱体化を招く

仕事を増やすための仕事をやっていても経済はいつまでたっても回復しない。市民が自立する力を奪うからである。しかもその仕事の予算は、国からのおこぼれ(国庫支出金や地方交付税交付金)であり、自らの税収ではない。しかも税収のほとんども自衛隊をはじめとする公的機関からのものと考えられる。

土木工事による景気対策は緊急時にのみ役に立つ麻薬のようなもので、短期間しか使ってはならない。現在の日本はそのほとんどが麻薬まみれになっており、石木ダムはその最たる例であろう。

日本屈指の経済学者も反対するだろう

経済学者の故宇沢弘文氏も、ダムそのものに反対しておられた。ダムは住民や自然への負担が大きすぎるためである。ダム建設はマクロ的視点で分析する必要があるが、外部不経済が大きすぎる。自分たちより年配の住民を追い出すとは何事だろうか。

代替案としての溜池(小規模ダム)

もっと小規模な溜池を多数作って、市民生活の負担にならないよう水の確保は実行するべきである。さらに昨今の集中豪雨や大型台風などをみるに一極集中型の大型ダムは災害リスクも大きい。もはや時代に即していないと考えるべきであろう。

そもそもダムは隣の市町村(東彼杵郡川棚町)に作るべきではなく、自分たちの土地(佐世保市)に作るべきである。土地が確保できないのなら、小規模なダムを多く作れば良い。効率は悪いかもしれないが住民への負担は激減する。グリッドコンピューティングの考えを取り入れれば、小規模ダムでも十分に水源を確保できるし、大型のものより効率が良くなることも可能だろう。

佐世保市民はどうするべきか

市民の声があるようだ(https://yamba-net.org/57041/)

ただ、市民の声の調査が500人程度であり標本として少なすぎる。また賛成20%は、水道局員・土木関係者などとその親族ではないかと疑ってしまう。

判断できないが4割ほどで、まともな市民である。そもそも情報が操作されているのが明白であり、議員側に有利な情報しかこちらには流れていない。これまでの委員会や議員の行動をみるに長崎県は信頼を失っており、公的な情報は信用されなくなっている。市民としては判断できないのが正常であろう。それでも工事が進むから不思議である。

画像1

(反対運動の市民の横に盛り土をする様子:https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=742927372025593856)

ちなみに山ノ田水源地の上方には巨大な橋梁道路建設が始まっており、山ノ田水源地は位置的に邪魔になる。本音はそちらであろう。(https://www.kyuukennippou.co.jp/?p=35045)

どちらにせよ、水源確保や減災などの理由は建前で、土木工事の仕事を増やすためにしていることは市民は気がついているはずである。つまりは経済の問題である。しかし無駄な公共工事問題を一気に解決する方法はおそらく存在しない。

やはり経済学は市民必須にするべきである。必須にしていれば、ここまで揉めることはなかったであろう。私もまた記事執筆を通して学び直したい。


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