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第550回【筋トレ日誌 その他日々是】541(2022/11/13)▲▲34年一世代▲▲

11月13日で

うちの婆さんが亡くなって34年目を迎える。


婆さんが亡くなった際に読経をしてくれた

寺の僧侶が今もなお命日には

毎年お経を読みに来てくれていること、

家族も変わらず生活できていること、

これは当たり前のようでいて

非常に稀有なことでもあるのでは、

と思えることが最近はしばしばある。


周りを見れば

同級生で既に親を亡くした人もいれば、

そもそも同級生で亡くなった友人も

数名いるのが私の世代である。


虚弱な私も

命に関わるような大病はしたことはないものの、

色んなところにガタを抱えながらも

元気で生きていられるのも

『お陰様』である。


このお陰様という言葉は

元が仏教用語であるらしく、

仏様から目に見えないご加護・導きを

意味する『お陰』に

敬意を示す『様』が付いたものだという。


そう考えると

私たちは毎日色んなところから

『お陰』を沢山頂いていることになりそうだ。


色々と嫌こともあるだろうけれども、

有難い有難いと唱えていれば

お陰様の気持ちになって

大抵のことは受け入れることが

出来るような気がする。


そんな僧侶の有難い話も聞きながら、

親世代がこの先命尽きた時に

どうするのか?という話になった。


今の時代

墓を守っていける世代が少なくなり、

そんな家では合同墓にお世話になるケースが

多くなっている。


しかも墓を持てない都会の話だけではなく、

田舎でも普通に合同墓に収まる方が

増えているのだという。


へー、そんなもんかね、と思うも、

私も母方の家系の墓と父方の家系の墓を

見守っていかなければならない。


たまたま近場にあるから良いものの、

なかなか管理していくのも大変だろう。

寺が管理してくれる墓に収まるのも、

世の流れなのかもしれない。


もっとも最近は、

お骨を小さな瓶に入れて

その他は焼場で処分してもらう、

なんてケースも多いらしい。

私には信じ難いことではあるのだが。


信じられないといえば、

最近のお葬式では

棺桶に収まった故人を

スマホで写真で撮るなんてことも

当たり前なのだという。


私が子供の頃に

そんなことをしていたら、

恐らく年長者にぶっ叩かれていただろう。


自分の親とは

あと何年共にできるだろうか。

私もあと何年生きられるだろうか。

(予定ではあと80年生きることになっている)


どうか恥ずかしいので

魂の抜けた私が棺桶に入っても、

写真はご勘弁をお願いしたい。

(せめてスケッチにして頂ければ・・・)

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