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第375回 【筋トレ日誌 その他日々是】366(2022/5/16)▲▲自分にとっての幸せを感じた日▲▲

週末は母の誕生日が近かったこともあり、
外食に出掛けました。
母本人曰く、
『母の日と誕生日が近いと
なんだか損なのよね』と。
まあ、その気持ちも分からないわけでも
ありませんが。


しかし、
通常夕飯が10時とか11時くらいに
なってしまっている私としては、
たまにはまだ日の高いうちから
夕飯を食べてゆっくりできるのも
なかなかいいもんだなぁ、と感じました。
言い換えるならば、『幸せ』だな、と。


最近周りで色んな話を
見聞きするからかもしれませんが、
『幸せ』ってなんだろうなと
ふと考えることが多くあります。


幸せの価値観や尺度なんて
もちろん人それぞれだと思います。


ベンツに乗れることが幸せの人もいれば、
タワマン最上階に住めることが
幸せの人もいるでしょう。


私は生憎と物欲らしいものが
あまりないので、
ベンツも興味ないし
タワマンにも興味がありません。
今乗っている車も国産の大衆車ですし、
そもそも私の近所にタワマンなんてないしw。


明るいうちから夕飯を食べれて、
そのあと家族とお茶でも飲める時間があれば
それこそ幸せじゃないか、と思えるのです。


そのように考えると、
あまり欲とかを出さなければ
幸せの種みたいなものは
色んなところに存在するのではないかと。


重心を低く、低く構えていると
普段は目に入らないような幸せが
飛び込んでくるように思えます。
それは道路に100円玉が落ちているのを
ついつい見つけてしまうように。
(例えが良くない!?)


加えて同じ日、
夜の7時になってもまだ周りが明るかったので
近所を30分ほど散歩してきました。


田舎ですと今の時期、
田植えも終わりカエルが鳴き
その水面に夕陽が映り込むのですが、
これを見ているだけでも
『幸せだなぁ』と思わずにはいられませんでした。

東京にいる時や
今もしばしばあるのですが、
オフィスの中で仕事をしているうちに
いつ間にか日が暮れて1日が終わってしまった。
そんなことがあります。


今日も一日季節や時刻の移ろいを
感じることもできず終わってしまう、

言いようのない後ろめたさ。

夕陽が映る田んぼを見た時に
私が幸せを感じる感覚は、
日常にあるごくありふれた時間を
自分のものとして過ごせた時なのだ、
と確信しました。


しかし、
この重心の低い幸せを手に入れることこそ
思っている以上に難しく、
また大きな価値があることなのだろうな
と思えます。
ベンツやタワマンならば、
なんとかすれば
なんとかなるかもしれませんからね。


漠然とした『幸せ』という
キーワードに対する意味づけを
重厚にしてくれた一日だったように思います。


今日のごく普通で、特別な一日に感謝

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