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アートは「心に余裕がある人」しか楽しめないのではないか、という哀しい現実

こんにちは。静物(@seibutsu_ga)です。

Twitterで、ただの美術好きとして美術に関することや、美術展の感想などを投稿しています。

今回、自分がここ半年ほどで感じたアートと心の関係について、つらつらと書いてみたいと思います。

個人的な話になるのですが、昨年の6月から新しい職場に転職しました。これまでとは違い、小規模でかなり忙しい職場への転職です。しかも担当するのは、完全未経験の職種。転職当初は「これは成長できるぞ!」と、モチベーションも高くいられました。

しかし次第に、小規模な会社ならではの忙しさや、自分の過去の経験が生かせないもどかしさ、そしてそれらを、コロナ禍での在宅勤務により同僚と共有できない息苦しさが、わたしの心をじわじわと締めつけだしました。

すると、それまでウキウキと楽しめていた土日の展覧会も、美術に関する本を読んで知識を蓄える行為も、徐々にやれなくなってきてしまいました。

多忙ゆえに単純に時間がないということもありましたが、一番は、「美術に割く心の空間がなくなってしまった」ことが原因だと思っています。

時たま美術展に行って作品を眺めていても、

「あー、あのメール返信できてないなぁ…」とか、

「あの時の上司、絶対わたしの話に乗り気なじゃなかったな…」とか、

仕事に関するザワザワが、呼んでもいないのに頭をよぎるのです。目は作品を見ているのに、頭は全く作品世界に没入できず、それゆえにロクに心も動かないまま美術館を後にする・・・。

これは本当に辛いことです。

これは人によって様々な考え方があるかと思いますが、わたしが美術館にいくのは「非現実の作品世界に没入したいから」、「日常では動かされないような心の部分を圧倒的に動かされたいから」です。

それなのに、美術館に行っても、現実のことばかりが頭をよぎる。

心にできたササクレを、ほうっておけばいいのになぜか自分でひっかき、血を出してしまうのです。無心になりたい美術館の中で。

これが本当に辛かったんです。だからわたしは、無意識のうちに美術館から足が遠のいてしまっていました。

今年の年明け、この半年で感じた「美術と心」のことをぼんやりと考えていました。

わたしは、美術やアートと呼ばれるものは、心が弱っていたり、勇気が必要だったりする人のためにあるものだと思っています。アートの存在理由についてはいろいろな考え方があるかと思いますが、ひとまずわたしはそう思っているのです。

ですが、この半年を経てわたしは「アートは本当に心が弱った人は、救ってくれないのではないか」と思ってしまったんです。

そう思ってしまった時、なんだかとっても哀しくて、寂しくて。へなへなと膝から崩れ落ちてしまうような気持ちになってしまいました。

本当はそう思いたくありません。でも、この半年の自分自身の体験からはそうとしか思えないのです。

どうにか、本当に心に支えが必要な人を救う存在にアートがなってくれたらと思います。

もしかしたらアートセラピーと呼ばれているようなものがそれに当たるのかもしれません。ですが、もっと気軽にカジュアルに、それこそYouTubeでユーチューバーのおもしろ動画をみたり、Spotifyで話題のアーティストの曲を聴くみたいに、美術がいろいろな人の心を支えるようなものになったらいいのにと思っていたりします。

そのために、わたしに何かできることはあるのでしょうか。

今はパッとはわからないのですが、いつか何か、貢献できるような生き方ができたらなと思っていたりします。

ひとまず、美術館で作品に没入できるくらいの心の余裕をもてるくらいには、今のお仕事に慣れるしかなさそうですね。





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