【短編小説】夜桜晩酌
「お花見をしよう!」
私の隣を歩く友人、梅朱ルアが唐突に叫ぶ。相変わらず突拍子もない提案をする彼女だが、一応続きを聞いてみる。
「で、なんで急に?」
「だって、桜が満開なの見ちゃったから!」
「ああ、まあ確かに咲いてるな……」
3月の終わり。一年を締め括って、また新たな一年が始まろうという頃。それを出迎えるように、桜も咲く頃だ。
しかし私、桜葉マキは花見をする気にはなっていなかった。それは彼女ほど無邪気でなかった、というのもあるが――。
「でもさ今、夜なんだよ。明日くらいに友達誘って色々買って準備して、ってことか?」
そう、現在時刻は21時過ぎ、子供ならもう寝る時間だ。私達も家に帰っている最中である。
こういうのって普通、天気の良い昼間に大勢で場所取ったりしてやるものなはず。流石に今からやるとかは言い出さないだろうと思ってたんだけど……。
「いや、今から二人でお酒買って、近くの公園で乾杯するつもりー」
「……なんで夜遅くに、しかも女二人で酒盛りしなきゃいけないんだよ。それも外で」
「えー、いいじゃん夜桜。綺麗だよ?」
そういうことじゃない、と私はすぐに否定する。私は今すぐ家でゆっくりしたいんだ。別に疲れてるとかじゃないし、花見が嫌いってことでもない。ただ今からやるには面倒で、気分じゃないってだけだ。正直昼間だとしても賛成するかは怪しいけど。
そもそも桜なんて歩きながら見てるだけで十分だ。酒が飲みたいなら家で飲めばいい。ましてやまだ夜は寒いんだし、今の時間にわざわざ外で見る必要はないと感じる。
「でもさー、明日にはお花見の気分じゃなくなってるかもしれないじゃん?」
「なんだそれ。じゃあその時はその時でいいだろ」
「やーだ。とりあえずコンビニ寄ってさ、それから考えようよ」
こうなったらルアはてこでも動かないことを、私はよく知っている。いや、まあ別に明日はずっと暇だし、折れてやってもいいのだけれど。ここまでくると、諦めの方が勝ってくる。
「はあ、まあどうせ聞かないし、気が済むまで付き合うわ」
「ホントに? やったー!!」
そして、腕を振り上げて喜ぶ彼女を、ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。
≪≫
夜なのに、街灯のせいでそこまで暗くない公園へ入る。桜が良く見えるところを探して、良い感じの場所にあったベンチに腰を下ろす。そうして、私達は買ってきたものを取り出した。
「ねー、マキは何飲むの?」
「これ。私あんまり強くないから、3%の度数低いやつ」
そう言いつつ、ルアの手元を見る。彼女の手には紙パックの鬼ころしが握られていて、レジ袋の中にも強めのハイボール缶だったりがいくつも入っていた。相変わらずというか、彼女は酒に強い。多分今日は酔う気なんだろう。
「マジで酒強いよな、ルアって」
「まあ、遺伝だろうね。パパもママもめっちゃ飲むんだから」
ルアは母親がロシア人で、いわゆるハーフってやつだ。その血を引いてか、白髪でかなりの美形。酒が強いのも多分そのせい。ちなみに父親は日本人。
対して私は純粋な日本の血を引いていて、その上両親のどちらともが酒に弱い。マイナス×マイナスがプラスになるのもここでは適応されず、そのまま酒の弱い私が生まれたわけだ。黒髪を首が見える程まで短くしたショートヘアに、先輩の影響で開けたピアス。目つきも良い方ではないし、割と背も高いので怖がられたりもする。私は酒よりも、タバコの方が好きだ。
よそではカッコいいだとか言われてるらしいが、ソースがルアなので信用はできない。
「――それで、本題の桜はどう?」
「ん? ああ、お花見だったね。うん、綺麗だよ。とっても綺麗だ」
……こいつ、飲むことしか考えてなかったな。誤魔化すような薄っぺらい感想で、そう察せてしまう。いや、もう別に構わないのだが。付き合うと言ったのは私なんだから、このくらいは既に承知してる。
「なに、こいつお酒しか頭にないなって言いそうな顔してるじゃーん」
「私が言葉にしてないだけマシだと思えよ」
「えー、なんかいつもより辛辣じゃない?」
「いつも通りだろ」
いつの間にかルアは、一本目を飲み終えていた。これでまだ酔ってるようには見えないのが恐ろしい。顔は全然赤くなってないし、自我もしっかりしているように思える。言動がウザいのはいつものことだし。
そうしてルアは二本目を開けつつ、何か言葉を続け始める。
「でもさ、綺麗っていうのはホントだよ? 真っ暗な夜空に、街灯に照らされた白ピンクの満開の桜。いいじゃない。歩いながら横目に見るのも良いけど、やっぱりこうやってじっくり楽しむのもいいでしょ?」
「……ああ、そうだな。その通りだよ」
「お、マキにしては素直だねぇ」
だとしても本当に今日やるべきだったかは別の話にはなるけどな。
それにしても、ルアはちゃんと花見もしてたんだな。完全に酒しか脳にないと思ってたから、こうも唐突にまともなことを言われると調子が狂う。いつもアホな事言ってるくせに。
「ま、それでもお酒には敵わないんだけどねー!!」
「うわ、うるせぇな」
「なんだとー、マキももっとお酒飲んでテンションあげろー!」
「いやだから飲めねぇんだって。アルハラやめろ」
だが、やはり根本のところは変わらないらしい。私は友人からのアルハラを流しつつ、ついでに買っておいたお菓子をつまんで誤魔化す。
ただ、なんだかんだでアホな事言ってる時の方が安心するんだよな。花より酒のコイツに、真面目は似合わない。
「あー、また失礼なこと考えてそうな顔してるー」
「そんなことねぇよ。悩みとかなさそうとか思ってたところだ」
「それ十分失礼だから!」
確かにな、とか適当に相槌を打ちつつ、そろそろ酔いが回ってきていることに気が付く。まあまだ一本目も飲み終わってねぇんだけど。
対するルアはというと、ほんのり赤くなってるといった感じでよくわからない。だってテンション的には素面の時となんら変わんないし。強いて言えば多少テンションが上がってる気がするけど、やっぱりよくわからない。ちなみにルアは今三本目だ。
ふと、なんとなく顔を上げてみる。それはもちろん、桜を見るためにだ。ルアも多少はちゃんと花見してるみたいだし、私も一回だけでも見ておこうという気になった。
肝心の桜はというと、都内の公園のように豪華なライトアップがされているわけでもなく、公園の街灯に照らされているだけではあった。けれどもその光を薄い色素の花弁が反射して、完全に闇に呑まれているわけでもない。奥には月も見えて、なんとも言えない趣みたいなものがあった。これは大勢で騒ぎながら見るものじゃなくて、静かにじっと眺めて楽しむものだ。まあ隣の奴は普通に騒がしいので、そこまで考えてのことなのかは知らないが。
不意に、というか現代人の性みたいな感じで、スマホのカメラを起動する。風景を収めたいとかじゃなく、一つの思い出として残したくなったのだ。
スマホを横に構えて、シャッターボタンを押そうとする。けれど、なんか違った。こうじゃない。
そう思って、私は内カメラに切り替えた。
「んぇ、急に立ち上がっちゃったりしてどうしたの?」
「ああ、ちょうどいいな。ほら、お前もこっちこいよ」
「なになに、私いまお酒飲んでるんだよ?」
「別に変なことはしねぇよ。いいからいいから」
流石に酔いが回ったであろうルアの肩を組み、夜桜をバックにパシャリ。それだけ撮ってルアを開放してやる。
撮った写真を見てみると、まあ案の定というか、キラキラ映えるようなものではない。でも、それでいい。この写真を誰かに見せるわけでもないし、気の向くままに撮ったものだ。形に残るものになればそれでいい。
私はなんだか嬉しくなって、それをルアにも見せようとスマホ片手に振り返った。
「なぁルア、さっき撮ったこれ――」
……ルアは寝ていた。いつの間にかこいつは眠りに落ちていたのだった。それも舌打ちが出てしまう程にいい顔をして。
はあ、もうお開きかな。コイツが起きなかったら担いで帰らなきゃいけない。めんどくせぇな、置いていきたい。コイツが発端だってのに。
「おい、お前が寝てんじゃねぇよ」
「んぁー、ねてないよー」
「はいはい、もう帰るぞ」
見たところ、やっぱり歩けるようには思えない程に酔ってるようだ。深いため息を吐きつつ、彼女を雑におぶってやる。案外軽いなコイツ。
さっきまではこういうのもたまには良いな、とか思ってたけど、今はなんとなくムカつくだけだ。ホント、こっちの気も知らないような顔して眠っているコイツが憎い。ちょっと可愛く見えるのが更に憎いのだ。
レジ袋を持って公園を出る。私はもう一度ため息をついて、呟いた。
「……タバコ吸いてぇな」
≪≫
自分の家のマンションのベランダにて、紫煙を燻らす。ルアは中に放ってある。うるさいのがいないと落ち着くな。静かなこの時間が一番好きだ。
煙を吐きつつ、街を見下ろす。桜はここからじゃもう闇に飲まれてしまって、街灯の光だけじゃ見えないみたいだ。まあここから見るものでもない。けれどもその代わり、あちらこちらで灯りが見える夜景は綺麗だった。星空観察なんかはできないが、これはこれでいいじゃないか。
そうやってしばらくの間ぼうっとしていた。何か考え事をするわけでもなく、ただ頭を空っぽにしてタバコを吸っていた。
しかしながら、その安らぎをぶち壊すかのようにベランダの窓が開け放たれた。
「――ああー!! ここにいたー!」
いつの間にか起きていたルアが騒々しくベランダに入ってくる。右手には缶ビールがあった。おい、まだ飲むのか。
「もー、寝ちゃってたら起こしてよー」
「知らねぇよ、お前が悪い。あと近所迷惑だ」
「むぅ、それはそう。気をつける」
おお、コイツでも反省はできるんだな。そもそもの良識を身に着けてほしいものだけど。
「つか、なんで起きてきたんだよ。寝ててもよかったのに」
「えー、寝てるのもったいなくない? まだ夜は長いよ?」
「いや私はこれ吸い終わったら寝るが?」
「なんでー、もっと起きてようよー、二次会しようよー」
嫌だよ。花見に付き合ったんだから終わりでいいじゃんかよ。私も流石に眠くなってきたし。ちょっとは落ち着かせてくれ。
「大体なんで私を巻き込むんだよ。他の奴を誘っても良かったんじゃないのか?」
当然の疑問を呈する。そうだ、そもそも私である必要もないはずだ。ルアは友達多いんだし、誘う奴は私以外にもいるだろう。さっきの花見だってあと一人くらい呼んでも良かったくらいなのに。
考えれば考えるほど疑問が大きくなっていって、ルアの方を見る。すると、ルアは何故だか少しむくれていた。なんだコイツ、拗ねてる?
「だってさ、マキって意外とモテるから……」
ルアがぼそっと言い訳のように呟く。まるで私が誰かに取られるのを恐れるような言い方だ。またそんなこと言ってんのか。
その話題に関しては、正直なところ怖がられてばっかりなのでホントかどうなのかが私自身にはわからない。まあ人気がありゃあ彼氏の一人でも出来てるはずなんだけど。ルアが言うには女受けの方が良いらしいが、結局のところ割と全部どうでもよかった。
「つっても、お前いっつも私にベッタリじゃねぇか。そうじゃなくてさ、もしも今日別の奴と一緒だったら、私じゃなくてそいつを誘ってたんじゃねぇのか?」
私が言いたいことは要するにそういうことだ。今日たまたま私と一緒だったから付き合わせただけで、私に限る必要ってなんじゃなかろうか。ずっとそう感じていた。
「いや、それはないね」
そして、彼女は即答で否定した。
「なんで?」
「だって、順番が逆なんだもん。マキ自身が言ってたでしょ? 私がいつもマキにベッタリだって」
「あ、ああ。そうだけど」
ルアはビール缶を揺らしながら、唱えるように私の疑問に答える。そこに淀みはなかった。ちょっとうざい。
「つまり、私とマキが一緒にいることは前提なの。その上で今日夜桜を見て、お花見がしたくなったわけ。マキ以外の誰かだったら、そもそもお花見しようってなってないよ。はいきゅーいーでぃー、証明完了!」
「……わけわっかんねぇ」
マジで何言ってんだコイツ。いや言わんとしてることはわからんでもないけど。でもなんで私と一緒にいることが前提なのかは本当にわかんねぇ。
「まあ、それでもさ。これからも一緒にいてくれることは確かでしょ?」
「ん、そうかな。お前が離れない限りはな」
「んふふぅ。それだけで今はいいや」
どうせ逃げようが追いかけてきそうだしな。多分私側からは離れられなそうだ。別にいいんだけど。
勝手に自分の中で結論付けたルアは、酒を一口煽って、もう一度こちらに向く。
「それじゃ、最後にもう一つ、今日誘った理由を教えるよ」
「あん? まだなんかあったのか?」
「まあ誘った理由というか、マキとお花見をしたくなった理由かな」
なんだか妙な溜めを作る。ちょっとカッコつけようとしてんなコイツ。桜もここにはもうないし、ロマンチックかって言われるとそうでもないのに。
酒のせいか少し顔が赤くなりながら、ルアは口を開いた。
「それはね、君に酔いたくなったから、かな」
「……なんか煙たくなってきたな」
そうして、数秒の沈黙が訪れる。
けれどもすぐに耐えられなくなって、お互い顔を合わせて噴き出した。
「はははっ、カッコつけたわりにはちょっとダサかったまであるぞ」
「うるさいな。煙たいってなにさ煙たいって!!」
結局私達は、しばらくベランダで談笑していた。私は残ったたばこを吸って、ルアもあとちょっとのビールを片手に持って。少し眠かったのは、なんだかんだで吹っ飛んでしまった。まあすぐに眠くなりそうだけど。
それにしても、君に酔いたくなったから、か。酔っているのは私の方かもしれない。だって、煙たがりたい程に騒々しいルアの隣にいても、後には楽しいって思えてしまうから。多分正常じゃないんだろう。正常じゃない程、お前に酔っているんだろう。つまらない世界で強引に笑わせてくれる、まさに酒みたいなやつだ。
「マキー、そろそろ中に戻ろー? 寒くなってきちゃった」
「そうだな、いい加減に布団に入りたい」
「寝かせるつもりはないけどねー!」
「お前いつまで起きてるつもりだよ」
タバコを灰皿に捨てて、部屋に戻る。ルアは新しい酒を持ってくることはしなかったが、テーブルにお菓子を広げて、そしてこちらへ手招きをしている。本当にまだ、寝る気も寝かせる気もないのが伝わってくる。
夜桜はもう見えはしないが、晩酌はまだまだ続くらしい。
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