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連続パーフェクト 補遺

(おことわり)
本稿は2022.5.18に公開したのだが、その後加筆修正を行った結果、連続パーフェクトの上位10傑は、以下のとおりとなっている。

1位 52人 佐々木朗希(2022年)
2位 42人 小山正明(1956年)
3位 41人 藤本英雄(1950年)
4位 37人 村上頌樹(2023年)※犠打1含む
5位 35人 島田源太郎(1960年)、大野雄大(2022年)※犠打1含む
7位 34人 江夏豊(1970年)
8位 33人 真田重蔵(1948年)、小山正明(1956年)、森滝義巳(1961年)、定岡正二(1981年)、森中聖雄(1999-2000年)

修正した点は見せ消しとし、加筆した部分はそのまま地の文として記している。加筆修正が度重なることから、今後、原稿を全面的に改める可能性があり、またその際本稿は公開を取りやめ新たに稿を起こす可能性がある。


拙稿「連続パーフェクト」の内容は2022年4月16日までの状況を基に書いている。これは4月10日に佐々木朗希が完全試合を達成し、4月17日に従来の記録を大きく塗り替えたことから、書きかけの原稿をひとまずその時点で整理して公表したものである。

その後、5月6日には大野雄大が9回までパーフェクトピッチを続ける快挙を見せるなど、この記録をめぐる状況は今年に入って急に動きを見せることとなった。そこでこの1か月の状況について改めて筆を起こしつつ、現在不明となっているいくつかの記録についてもここに述べることで、前稿の補遺とするものである。

まず改めて2022年の2つの記録を見てみよう。

2022年4月10日の千葉ロッテ対オリックス3回戦で、佐々木朗希は完全試合を達成した。13連続奪三振の日本新記録、19奪三振の日本タイ記録というおまけつきで、外木場義郎の16奪三振を上回る完全試合での奪三振レコードも更新するというド派手なものであった。
だが、直前の登板は4月3日の千葉ロッテ対埼玉西武3回戦で、こちらは8回2死に鈴木将平に二塁打を打たれた後の1人を抑えただけ、この点では完全試合の時点では連続28人という、過去の完全試合と比べてもありふれた記録であっただけに、次の登板が注目された。

その次の登板、4月17日の千葉ロッテ対北海道日本ハム4回戦で、再びまさかの投球を見せる。佐々木はこの日も淡々とパーフェクトピッチを続け、5回には近藤健介をショートゴロに打ち取って小山正明の連続42人パーフェクトに並ぶと、続く野村佑希を三振に切って取った。1956年以来実に66年ぶりという記録更新は、実にあっさりとやってのけられた。

しかのみならず8回まで日本ハムを引き続き完全に抑え込み、2試合連続完全試合という例のない記録がはっきり視野に入ったところで、佐々木は交代となった。完全試合継続中の投手の降板というのは賛否両論を巻き起こしたが、おかげで記録の結末はさらに次の試合に持ち込まれることとなった。

1週間空けた4月23日のオリックス対千葉ロッテ6回戦に佐々木は先発、三度の完全投球を期待されたものの、初回先頭の福田周平に初球を打たれ、あっさり記録は途絶えた。結果としてここに連続52人パーフェクトという記録ができあがったが、小山の記録を10人も上回る桁外れの金字塔であった。
一方でパーフェクトピッチを続けた次の試合であっさり走者を許すというのは、過去の完全試合達成者を見てもよくあるパターンだというの点は、少しほっとするところである。

前稿で「よほど完投能力があり調子に乗ると手が付けられなくなるような先発投手か、完全に抑え込むリリーバーでない限り、今後のこの記録が更新されることもなく」と記したが、佐々木は全く前者にあてはまる。特に完全試合の投球はまさに「手が付けられない」という言葉にふさわしい投球であった。

さてそれから3週間、今度は大野雄大が完全試合に挑んだ。5月6日の中日対阪神6回戦に先発した大野は初回からテンポよく投げ進めて、9回まで1人の走者も許さない完全投球を見せた。しかしバックが青柳晃洋に9回まで2安打に封じられ、延長戦に突入することとなった。
10回も打者2人を抑えたところで佐藤輝明に二塁打を浴びて完全試合はストップ、その裏ようやく1点をもぎ取ってサヨナラ勝ちとなっただけに、この一打が惜しいところであった。

この試合で連続29人を抑えた大野は、直前の4月28日の阪神対中日5回戦でも7回先頭の小幡竜平にヒットを打たれて以降6人を抑えていたため、連続35人パーフェクトという歴代4位タイの記録であった。
なおこの間、7回1死に熊谷敬宥が犠打を記録している。犠打は記録継続に含めるという前稿の基準に則って連続35人としたが、確かに小幡が塁に出ていなければバントは企図されず、あるいは異なった試合展開になっていたかもしれない。だが仮にこの犠打の次から記録を測ったとしても、連続33人は森中聖雄以来の達成、6位タイという記録であった。

余談であるが、真田重蔵が記録した「失策のみの準完全試合」は、後に山本昌が達成して史上2例目のケースとしていたが、今回も西口文也が記録した「9回完全試合も味方の援護なく延長戦で逃す」というパターンを大野が記録して史上2例目としたあたり、中日と完全試合の巡り合わせというのはちょっと面白いものがある。

ところで、この2つの記録を踏まえて連続パーフェクトの上位10傑を書き出すと以下のとおりとなる。

1位 52人 佐々木朗希(2022年)
2位 42人 小山正明(1956年)
3位 41人 藤本英雄(1950年)
4位 35人 島田源太郎(1960年)、大野雄大(2022年)
6位 34人 江夏豊(1970年)
7位 33人 真田重蔵(1948年)、小山正明(1956年)、定岡正二(1981年)、森中聖雄(1999-2000年)

前稿では「ただし本稿でその調査を十二分に尽くしたとは申さない」と記したが、実はこのランキングの中に割って入るかもしれない記録の候補が3例ある。これについて触れておきたい。

最初の候補は内藤幸三である。1946年10月31日の巨人対ゴールドスター15回戦に登板した内藤は9回を投げて1安打2四球という好投を見せたのであるが、この1安打が1回1死の山川喜作であることが判明しているので、仮に2四球も初回のことだとすれば、この試合で連続25人を抑えていた可能性がある。
内藤にとってはこの試合がこのシーズン最後の登板で、次の登板は翌る1947年4月20日の東急対金星2回戦であったが、6回まで2安打4四球であったことは確認できている。初回から最大で連続12人を抑えていた可能性があり、この2つをつなげれば連続37人という記録になるわけである。
戦後間もないシーズンであり新聞記録ではほとんど詳細が分からないところであるが、今後スコアカードからの解明が進んでいくことが期待されており、近いうちにこの記録の真実も解明されることとなるだろう。

最初の候補であった内藤幸三は、1946年10月31日の試合は連続16人で終わったことが確認された(shokuyakyu『職業野球!実況中継』2023年1月14日「21年 ゴールドスターvs巨人 15回戦」条)。次の試合の登板とつなげても最大で28人となり、上のランキングには入らないことが確認された。(2023.1.16加筆修正)

次の候補は藤本英雄である。といっても藤本は1950年に完全試合を達成、前後をつなげて連続41人パーフェクトで当時の日本新記録を樹立したのだが、実は翌1951年にも、これに準じる記録を残していた可能性がある。

藤本は5月17日の松竹対巨人7回戦で6回1/3を安打四死球なしという好投を見せたのだが、これが連続19人パーフェクトだったと仮定するところから始まる。この直前5月11日の巨人対国鉄5回戦では最大で連続11人を抑えていた可能性があり、また直後の5月20日の大阪対巨人7回戦でも最大で連続4人を抑えていた可能性があるため、これらをつなげると連続34人となるものである。

もっとも、この記録の核となる5月17日の試合では巨人の側に1失策があり、これが藤本の投げている間の出来事だとしたらたちまち候補から除外されるということになる。この時代の資料は新聞記録等から丹念に追う必要があり今後も地道に調査を続けるしかないものであろう。

そして3件目の候補が森滝義巳である。森滝は1961年6月20日に完全試合を達成しており、その前後で連続して打者を抑えているという、島田源太郎などと同じパターンである。

完全試合の直前は6月11日の大阪対国鉄9回戦で、4回1死から藤本勝巳を歩かせた後、続く西山和良を併殺に打ち取って降板したので打者1人であった。そして直後の試合は7月9日の巨人対国鉄12回戦である。この試合はリリーフで7回から登板、8回または9回に四球を与えるまで記録を続けたのだが、仮に9回1死に藤本伸を歩かせるまで抑えたとなれば連続7人となり、完全試合の27人とつなげると連続35人となって島田源太郎に並ぶ可能性が生じる。
当時の新聞等ではこの試合の詳細が記載されておらず調査継続中というわけである。いや実は野球殿堂博物館でこの試合のスコアカードが公開されているはずで、これを確認すれば事足りるのだが、複写不可の資料でありまたコロナ禍の中で東京まで現物を確認しに行くのが厳しい状況であるため未確認に甘んじているというのが実情である。
この試合はリリーフで7回から登板、8回2死から宮本敏雄を歩かせるまで連続5人を抑えた。すなわちこれらをつなげると連続33人となり、真田重蔵らに並ぶタイ記録だったことになる。
もっともこの試合は12回1死まで、5回1/3を打者18人に2四球1死球(1盗塁刺)でノーヒットに抑えている。完全試合の次の試合で3イニング以上無安打を続けた投手は森滝と佐々木朗希だけであり、その点では島田源太郎をも上回る評価を与えられるだろう。(2023.5.21加筆修正)

この上位10人に続く記録でも、連続32人という記録の候補が2件あり、次いで連続31人となると記録が確認できるケースも3件ある一方で候補も5件あるという状況で、いずれも今後調査を進展させたいところである。


佐々木朗希の完全試合以降注目を増した連続パーフェクト記録だが、記録にまつわる動きは2023年に入っても活発であった。佐々木の完全試合と同じ4月、さっそく大きな記録をマークしたのは村上頌樹である。2021年に2試合に先発して防御率16.88、前年は一軍登板なしだった村上だけに、瓢箪から駒のような記録であった。

2年ぶりの登板となった4月1日の阪神対DeNA1回戦で、1イニングを投げてプロ初ホールドを記録、この時の投球を買われて4月12日の巨人対阪神2回戦に先発が決まった。一昔前によく言われた初物に弱いという巨人のジンクスが顕現したものか、あれよあれよと7回をパーフェクトに抑えてしまった。もっともここまで1-0、7回終えて1点差では重荷と判断されたかここで後続にバトンタッチして完全試合には至らなかった。

それでも前年の佐々木のこともあり、次の登板は大いに注目を集めることとなった。その4月22日の中日対阪神2回戦に先発した村上は、ここでもパーフェクトピッチを重ねたが、ついに5回1死から福永裕基に安打を許して記録ストップとなった。この2試合で34人を抑えていた村上だが、最初の試合では先頭打者に二塁打を許したのちに3アウトを取っており、これらをつなげると連続37人パーフェクト、島田源太郎と前年の大野雄大の35人を超え歴代単独4位となる堂々たる数字であった。

ただしこの最初の試合、先頭の桑原将志に二塁打を許した後、1死から森敬斗に犠打を許している。本稿の基準に照らせばこれは連続記録に含めるものであるが、桑原の出塁がなければ森の打席の中身は変わっていたわけで、ここの考慮次第ではあるいは連続35人という見方もできる点(少なくとも現時点では、どちらが正しいと言えるものでもない)は、念のために触れておきたい。(2023.4.24加筆)

(追記)
内藤幸三のケースについて確認できたため加筆修正を行いました。(2023.1.16)

(追記)
村上頌樹が歴代4位となる記録を達成したため加筆を行いました。(2023.4.24)

(追記)
森滝義巳のケースについて確認できたため加筆修正を行いました。(2023.5.21)

(追記)
他記事との表記統一のためおことわりと追記を整理しました。(2023.7.14)

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