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「親ガチャ」という言葉を柔軟に考察

日本で去年(2021年)から流行りだした「親ガチャ」という言葉。子の人生は親次第で殆ど(或いは全て)決まってしまう運要素の摂理をランダムに景品を排出する「ガチャ」に例えた言葉で、「自分が不幸なのは親ガチャを外したから」と思ってる人々を中心にこの言葉が急速に広まったが、この言葉の捉え方は現時点(2022年3月)で僕が知る限り3種類の派閥が存在している。

①肯定派
「親ガチャ」の概念を深く考えずに肯定し、「自分は親ガチャを外した(から不幸だ)」と嘆いたり「自分は親ガチャを当てた(から幸せだ)」と自覚する人々。

②感情的否定派
「親ガチャ」の概念に対して「出生は無条件に感謝すべき事であり、そんな事を考えるのは親不孝だ」などと感情的に反発する人々。自分の子から恨まれている毒親は自分を正当化する為にこの派閥に入りがち。

③原理的否定派
「親ガチャ」の概念を深く考え、「原理的に有り得ない」という結論に至った人々。子の人生が親次第で決まる摂理に対する嘆息や出生被害の概念は①と共有している。

僕は③の原理的否定派に属するが、感情論しか語れない②は論外として、日本で多数派を占める①も思慮が浅すぎて見るに堪えないというのが正直な感想だ。

まず①の人々に問いたいのは、「貴方はいつ・どこで親ガチャを回したのですか?」という事。この段階まで思考すれば大半の人は気付くはずだが、「親ガチャ」という概念は生まれる前の魂、いわゆるスピリチュアルの概念を適用しなければ成立しない。しかし①の大多数はスピリチュアルを否定している。もし肯定すれば②が主張する「出生は自己責任」という非科学的な論説に加担する事になりかねないからだ。ここで①の論理には破綻が生じてしまう。

③に属する僕は①と同様に「子の人生は全て親次第で決まってしまう」という摂理を嘆き、これを「親運」と呼んでいるが、「親運=親ガチャ」という発想は上記の理由から短絡的で知性が乏しいと言わざるを得ない。その一方で「子ガチャ」はそれを回した主体(親)が明確に存在するので、この概念を否定する理由は特に無い。よって、

★我々の出生被害は「親ガチャ」では無く「子ガチャ」によってもたらされる。

という結論に至る。
また、反出生的な言葉として

★人生は基本的に苦行である。子の立場から見て「子ガチャ」に「当たり」は1つも無い。自分が「当たり」だと思っていられるのは一時的な錯覚に過ぎない。(少なくともこの星においては)

も添えておきたい。
共鳴してくれる人が1人でも増えて頂けたら幸いである。

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