「わかりやすさ」と「名前」について

人付き合いする上で、
「分かりやすさ」は大事だと思う

「私はこういう人間だ」を
一言でいえること。

「分かりやすさ」を
うまく開示できているときは
他人からのコミュニケーションの
きっかけを作ってもらえることが多い。

そして、「分かりやすさ」を
うまく開示できていないときは
「掴みどころのない人間」として
捉えられることが多い。

良く言えば「ミステリアス」。
それもまた魅力になることもあるが、
悪く言えば「絡みづらい」だと思う。

コミュニケーション上で
一番わかりやすい記号は「名前」。
あと、「名前とセットで出す情報」も
なかなか大事だ。

記憶が紐づけられて覚えてもらえることが多いし、
名前が覚えられなくても「ほら、〇〇の人」と
存在自体は覚えてもらえることが多い

ポイントとしては、
・できるだけ他人と被らないこと
・みんなが知っていそうなこと
を紹介するのがいいと思う。


私は、今年の年明けから
地域の社会人バスケに参加し始めた。

社会人バスケの初回の練習で、
「小学校からバスケをしていた」が
「3年ぶりのバスケなのでお手柔らかに」
という自己紹介をした。

バスケのコミュニティでの共通言語は
もちろんバスケなので、その中で
自分をわかってもらうための要素を出した。

この自己紹介のおかげか、
「もう体はだいぶ慣れてきた?」や、
「3年ぶりにしては動けるね」といった
声をかけてもらえることも多く、
チームに馴染むのも早かったように思う。

逆に、
そのコミュニティの人たちの
名前を覚えることも大事だ。

私は人の名前を覚えるときに、
漢字でどう書くかをセットで
覚えるようにしている。

珍しい苗字の人だったときは、
それを尋ねるだけで会話の
とっかかりになるし、
頭の中でイメージするので
記憶に残りやすい。

親しい間柄のときは
下の名前も一緒に覚えたり、
ニックネームを付けるのも良い。

出身地や住んでいる場所を聞ける場合は
それを聞くのもいい。

とにかく、名前以外の要素を引き出して、
それと紐づけることが重要だ。


もちろん名前を知らなくても
コミュニケーションは取れるが、
名前を覚えてもらえることは嬉しい。


また、名前を知らないときは
「名前聞いてもいいですか?」と
素直に聞くのもいいと思う。

偉人の誰かの逸話で、
名前を忘れた時の天才的な返しを聞いたことがある。
「名前を聞いてもいいかね?」
『〇〇です。』
「苗字は知っているよ。下の名前はなんだっけ?」
『ああ、△△です。』

これは、相手を不快にさせずに
名前を聞くいい手段だなと思った。
使えるシチュエーションは限られるが。


また、名前に関連して
大事だと思うことがもう一つある。
それも「わかりやすさ」だ。

みんなが呼びやすい名前にすることが
大事だと思っている。

こだわりの詰まった凝った
名前も良いと思うが、
名前は呼ばれて初めて
真価を発揮すると思う。

インパクトの強い名前は
二度と忘れない、という側面もあるから
良し悪しあるとは思うが。

そんなこと言っても
名前は変えられないだろ!
という声が聞こえた気がする。

しかし、名前を自分で決められる
シチュエーションがある。
それはSNSだ。

今年、ゲーム友達をX(旧Twitter)上で
作ることに挑戦した。

その時に、ゲーム界隈での名前を
新たにつけた。
「せいうち」という名前。

note上での名前からも
おわかりかもしれないが、
私は下の名前に「せい」が付く。

そこから上手くもじりつつ、
人とは被らない、それでいて
みんなが知っているもの。

それが「せいうち」。

我ながらいいラインを攻めれたと思う。


また、名前を統一しておくことも
大事だなと思う。

ゲームの話で言うと、
X(旧Twitter)上だけでなく、
ゲーム内のアカウント名
(switchやPSなど)も揃えておくこと。

そうすることで
余計な説明をする手間が省けるし、
「友達の友達」と遊ぶ時に
相手を混乱させることが少ない。

私の中の小さな目標は、
「セイウチ好きなんですか?」と
聞かれた時の面白い返しを考えること。


以上、
今年は「わかりやすさ」と「名前」について
考える機会が多かったので、
思ったことをつらつら書いてみました。

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