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松任谷由実『ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ』に出てくる、「本当の孤独」とは何か?

今回は、私の大好きなユーミンの楽曲

『ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ』

のサビの歌詞を、私なりに考察していく。


きみはダンデライオン
本当の孤独を 今まで知らないの


冒頭の「きみ」とは誰のことか?
この曲のタイトル「ダンデライオン」とはタンポポの事なので、はじめに私が連想したのはタンポポの綿毛である。

たくさんの綿毛たちは、はじめは身を寄せ合っている。
ひしめき合って暮らす彼らは"淋しさ"を知らない。

だから孤独を知らない"きみ"というのは、兄弟たちがいつも共にいる綿毛たちの事であると思っていた。
そしてこの綿毛というのは、家庭における子供の比喩であると思った。

けれどこの詩に於いて重要なポイントは"本当の"孤独というという箇所である。
"本当の"と修飾するという事は、直観的な言葉のイメージに反したニュアンスを"孤独"という言葉に持たせているのではないだろうか。

孤独というと、"独りでいる"というのが直観的なイメージである。
では本当の孤独とは何か。

そう考えたとき、私は1つの初歩的なミスをしている事に気がついた。

きみはダンデライオン

"きみ"というのは綿毛ではなく"ダンデライオン"、つまりタンポポ自身のことだった。
私は綿毛が子供達であると想像した。という事はダンデライオンとはその親である。
つまりこの曲は、巣立ってゆく子に対する歌ではなく、子を見送る親へのメッセージソングなのでは?

そう考えると自然と"本当の孤独"の意味が解ってくる。

親が親になる前 - 綿毛たちのような子供の頃 - に感じていた孤独というのは、本当の孤独ではない。
本当の孤独とは、ただ"独りでいる"のではない。
それは、手塩にかけて育ててきた子供たちを手放すことによってしか経験し得ない、無類のものなのである。

さだまさしの『案山子』などもそうだが、こうして文章にしながら案ずる以上の淋しさが、"本当の孤独"にはあるに違いない。

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