【テキスト版】巻1(16)内裏炎上【スキマ平家】

巻1(16)内裏炎上

夕方になってから殿上で緊急の会議が行われた。過去に神輿が京まで来た時には、延暦寺の末寺である赤山神社にお入れしたり、祇園の社にお入れしたりしたが、今回も祇園社にお迎えしようという話になった。神官たちに命じて、神輿に刺さった矢を抜かせたのだが、過去、6回あった延暦寺の乱入でも神輿に矢を射るようなことはなかった。神を怒らせては災害が巷に満ちると、みんな口々に恐れるのだった。

その夜、延暦寺の大衆がまた京になだれ込んでくるという噂が聞こえてきた。高倉天皇は、後白河法皇の御所にお移りになり、お后たちもみんな御所を離れて別な場所に移られた。重盛殿はそのお供をなさる。重盛の長男維盛がそれに従う。藤原師道どのを始め、太政大臣以下の公卿や殿上人も我も我もとお供をされるので、京じゅうが大騒ぎの大移動となった。cut

延暦寺の衆たちは、神輿に矢を射られ、神官たちが殺され、大勢が怪我をおわされたのだから、御所を含めすべての建物を焼き尽くして山野に逃げてしまおう、そうすれば我々の意見を後白河法皇も聞かざるをえないだろう、と、三千人の大衆たちの意見が一致したのだった。それを伝え聞いた延暦寺の高僧たちが、現状を説明して話し合おうと比叡山に向かったが、大衆たちはもう聞こうともせず、追い返してしまうのだった。

平時忠卿はそのとき左衛門督という警察部隊の長のような役職だったが、比叡山の大衆たちに捕まってしまった。興奮した大衆たちは、「その冠をうち落とし、体を縛り上げて湖に沈めてしまえ!」などと騒いでいる。もはやこれまでかと思った時に、時忠卿、「しばしお静かに!衆徒の方々にお話がございます。これをお読みくだされ」と何か書きつけたものを渡す。それを開いてみると、こう書かれていた。

「大衆が乱暴狼藉をはたらくのは、悪魔の仕業である。帝がそれをお止めになるのは仏のご加護である」

騒いでいた大衆たちはそれを見て、「もっともだ」「それもそうだ」と納得し、気持ちが収まったようにそれぞれの坊に戻って行ったのだった。

たかだか紙一枚、短い言葉ひとつで、比叡山三千人の怒りを鎮め、朝廷と延暦寺両方の顔も立て、自らも危機から逃れることができたのだから、時忠卿は大したものである。

京の人々も、「延暦寺の大衆は、押し寄せて乱暴狼藉をはたらくだけかと思っていたが、道理もわきまえていたんだなあ」と感心しあったという。

さて、それから六日後、加賀守藤原師高は職を解かれ、尾張の国に流罪とされた。弟の近藤師経は投獄された。神輿に矢を射かけた武士六人も投獄された。武士たちはみな重盛どのの侍であった。

それから八日後、京は大火事となった。風の強い夜だったので、大きな車輪のような炎があちらこちらと飛び移りながら焼き進んでいくさまは、恐ろしいどころではなかった。古くからの名所も、公卿の家なども焼けてしまい、火は内裏までも焼いていく。日記や文書や珍しい宝などもすべて灰になってしまった。被害額はどれぐらいだっただろうか。焼け死んだ人の数は数百人。「これは日吉山の神の御怒りである」と、比叡山から大きな猿どもが二千三千と、手に手にたいまつを持って京じゅうを焼いて回る光景が多くの人の夢に現れたという。

大極殿という朝廷の正殿が焼けたことは過去数回あったが、そのたびに大々的な改修工事がなされた。しかし、今は末世であり、国力も衰えてしまっているので、その後造営されることはなかった。

巻1・完

【次回予告】
巻2。後白河法皇と延暦寺との全面戦争がはじまります。


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