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東京は遠いところ

茨城から上京して3年がたった。何となくの土地勘もついてきたし、こんな都会なところがあるのかと感激することも少なくなった。3年間のうちに東京は大きく変わってしまったのだ。いや、東京自体が変わったのではなく、東京というものが自分の中で果たす役割が違ってきているのかもしれない。
田舎者から見た、「東京」論を話していく。

小さな目から見た東京

小さいころから、年に数回は東京に行く機会があった。おじいちゃんおばあちゃんが埼玉と千葉に住んでいたので、GWやお盆には帰省していた。ここでまず、埼玉と千葉で東京ではないと思ったかもしれない。が、当時の自分にとっては埼玉も千葉も「東京」であった。県の区別はしっかりとついている。道路沿いにどこまでも連なる家々、道路を絶え間なく行きかう自動車のエンジン音、夜遠くから聞こえる踏切の音。すべてが茨城とは違っていた。その違いが当時の自分にとっては「東京」であった。

帰省への道のりは旅路であった。家の周り数100mだけを駆け回り、習い事や買い物に車へ乗る程度にずっと住んでいる少年にとって、高速道路に乗って2時間かけていく祖父母の家は特別なところに違いない。普段は聞かないAMのラジオを聴きながら、うとうととしているといつの間にか周囲は建物だらけの「東京」である。

いつもその旅路の休憩は茨城県を出る少し手前、守谷SAでとる。そこから利根川を渡るとすぐに高速は半地下の区間へと入る。流山だとかその周辺である。そこをぬけて、高架へと変わると風景は一変している。所狭しと並ぶ住宅、マンション、工場。ああ「東京」に来たな、と感じる瞬間だった。
いまその場所を確かめてみると三郷だとか、八潮のあたりだった。めちゃくちゃ埼玉。

いつもそのようにして車で上京していたが、ある時期を境に手段が変わる。高速バスの停留所が家の近くにできて、そこから2000円で直接東京へとアクセスできるようになった。それから車で行くことはなくなった。それはそれで何か物寂しい気持ちがあった。

高速バスは上野でいつも降りていた。荒川沿いを走り、隅田川沿いへと入ったところの景色がいつもきれいだった。首都高の高架から見下ろす水面と、その向こう側に見える雑多な景色がよかった。隅田川にかかっている二股に分かれた橋の上をランニングしている人をみて、都会での暮らしの想像を膨らませる。こんなところでいつも走ることができたらどんなに楽しいことだろうか。

東京へ

東京に引っ越すこととなり、向かうバスの中で、ぼくは出張のような気分になっていた。茨城から東京という異国の土地で暮らし、ときには茨城に戻って安らぐのだと。東京は気を張っていくところであり、非日常の場所でしかない。

上京して数日して、まずは隅田川へとランニングしてみることにした。幸い家から走っていけない距離ではない。首都高の上から眺めることしかできなかった景色を下から見てみよう。
ひさびさの長めの距離のランニングに足が止まりそうになりながらも、なんとか川が見えてきた。首都高を走る車の音と、川を渡る橋の前で信号待ちする車のエンジン音が鳴り響く。ずいぶん騒がしいところではあるが、都会を感じれるいいところであることには違いなかった。小さいころ空へと延びていく姿を見ていたスカイツリーが、少し顔を上に向けると見えるところにある。

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高速バスから見えた東京の街がどこまでも続いているような実感は得られないけれど、自分がイメージした都会の暮らしをしているような感じがした。

GWになって、はじめて実家に帰ることにした。かつて東京に行った帰りに乗っていた高速バスに乗って、茨城へと帰省をする。東京駅でバスに乗り込むときはまだ日が出ていたが、着くころには真っ暗だった。高速道路を降りて一般道に降りたくらいに目が覚めると、外は何か月かぶりの完全な暗闇だった。道を照らす車のライトと信号と、少しの家の灯り以外に光るものはない。こっちの方が慣れた景色だなと思った記憶がある。

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もう一つ忘れていたことが、田んぼの景色だ。ちょうどその時期は田植えをする直前の時期で、一面に水が張っていた。少ない光が水面に射して、反射している。それが美しいと感じるとかではなく、ただ、これからはこの感覚をなくしてしまうのだなあと納得した。

東京はどこ

上京して3年がたった。はじめは焦るかのように観光名所を訪れたりもしていたが、慣れるとわざわざいくような場所は数えるほどしかなかった。そして東京をすべて行きつくすことはできないし、必要のないことだとわかってきた。小さいころ見たどこまでも続く建物は、どこまでも続く同じようなものでしかなくなっていた。

小さいころ見た東京は、たまに行くことのできるステキなところだった。そこに行けば何でもできる場所で、決して遊びつくせない場所だった。そんな東京は、今の自分の中にはない。
かつての自分にとっての東京のような存在は新たに見つけられてはいない。遠くにあって、普段いかないところだからよいというだけではない。海外に行っても同じような思いを持つことはないだろう。

あの東京はどこへいった?




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