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古見のサガリバナを眺めながら、他者(異文化)を理解するために素足で歩くような感覚(共在感覚)の必要性について考える

先日3日間西表島に籠ってみた。この感触を忘れたくないので未来の自分用に綴ろうと思う。


„他者(異文化)を理解するためには靴は履いてもいい、ただし素足で歩くような感覚を忘れてはならい“靴を履いていないと自分が傷ついてしまう時がある。ただし他者(異文化)を理解するためには素足でしか感じることのできる複雑な情報を感じる必要がある。これは靴を履いたままでは感じる事はできない。そして知らず知らずのうちに靴で生き物を踏み潰したり、土を固めて植物が生えない環境を作ってしまう事がある。いかに靴を履いたまま素足のような共在感覚を身につけるか。



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学校職員が移住することで成り立つ人口30人の船浮集落

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石との強い繋がりを感じるガジュマルの木

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地層が自然の文化を語りかける

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船浮集落に住む老夫婦に愛犬の話を聞く

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イリオモテヤマネコを保護した時の話や最近解禁されイノシシ狩猟の話を聞く

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写真では湿度が伝わらないので少し寂しい

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干立集落で神行事について聞く

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霊性について考える

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枯葉の循環について考える

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同じ西表島でも自然、集落、法人、人によって様々な背景を持ち多種多様な考えに出会い、対話した3日間。

移民を歓迎する者、移民を拒む者、世界遺産認定を拒む者、世界遺産認定を進める者、地産地消を実践する者、違う世界の為に人工で自然を作る者、公共性に怒りを感じる者、公共性に感謝している者。

何か言語を習得した時のような元の自分には戻れないけど何かを獲得できたそんな3日間だった。

自然と共に在る。
人と共に在る。
文化と共に在る

共在感覚という素足のような感覚を忘れずにしたい。

共在感覚について調べてみると京都大学の木村大学治さんが2003年に本を出していた。

「アフリカの二つの民族集団における長期調査をもとに,言語的相互行為を通じて,人と人とが「共にいる」という感覚の多様性を記載し,その分析枠組みを提示する。そして,相互行為の様式の記述が,現代において進行しつつあるコミュニケーションの大きな変化(インターネット,携帯電話等)の分析に対してどのような意味をもつかを考察する。」

今度読んでみよう。

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„他者(異文化)を理解するためには靴は履いてもいい、ただし素足で歩くような感覚を忘れてはならい“確かに靴を履いていないと自分が傷ついてしまう時がある。ただし他者(異文化)を理解するには素足でしか感じることのできる複雑な情報を感じる必要がある。これは靴を履いたままでは感じる事はできない。そして知らず知らずのうちに靴で生き物を踏み潰したり、土を固めて植物が生えない環境を作ってしまう事がある。いかに靴を履いたまま素足のような共在感覚を身につけるか。

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