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死ぬまで生きる。11歳と89歳の願い事に彷徨いながら“死“の身近さに味わいを感じて

とある神社で11歳の女の子の短冊のお願い事を見た

「大人でも楽しい時間が過ごせますように」


なるほど。この女の子は

今の楽しい時間が大人でも続いて欲しい

と思っているのかもしれないし、それか身の回りにいる大人や大人の世界を見て

大人の世界には楽しい時間は無いと絶望していて「今は楽しいけど、大人は楽しくなくなるから大人でも楽しい時間が過ごせますように」

なのかもしれない。

そして教育は子供の未来に期待しているからこそ関わるのかもしれないし

もしくは大人の世界には諦めて絶望しているからこそ関わるかもしれない


今は教育が大事という

教育が変われば世界が変わるという

システムが変わる事が大事という

確かに教育は未来の為の子供達の成長において、とても大事な事です。そして子供の時の時間は貴重である

大人の時間も子供の時間も同じくらい貴重だ


プライドを持たない。相手の言う事を咀嚼できれば大人は成長できる。教育やシステムはいつもそういった成長した大人の後からついてくる。

そして今の子供達の成長に関わる“今の大人達が幸せではない“と“子供は大人という未来に絶望する“

大人は楽しい
大人は成長する
子供でも楽しくない時間はあった
子供ではできない事があった


絶望しながらも大人なりの今の楽しみ方を見つけて子供達に大人の世界に入ってみたいと思ってもらえるように

今を楽しむ。

それだけでいいんじゃないかなと思うし

それだけだと教育になってないという人の気持ちも分かる


89歳の患者さんが僕に言ってくれた

「私達はたまに死にたいと思う。もう充分だと、この腰の激痛があるくらいなら死にたいと思うことがある。ただ災害やウイルスの危機で沢山の生きたい人が死んでいく。生きたいと願った私の同い年の友人達が私が長く生きる度に減っていく。池田くん私達は死ぬまで生きよう」

„死“が身近にあるこの方にとっての“生きる“はとても複雑で苦味があって旨味がある。

死ぬまで生きる。

それだけでいいんじゃないかな

それだけだと生きている意味がないという人の気持ちも分かる

また分からなくなってきたけど

まとまらない自分の時間を楽しめるようになってきた

今日はそんな話





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