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川口ちゃんの衣装計画#107 誓いの浄土リング

【2023年7月上旬〜下旬の自問自答】


・畑から生えていたい


素敵な服が着たい。
素敵な服を(物として)持っていたい。
素敵な服を着て、素敵ねって思われたい。
センスがいい人になりたい。
流行の服が着たい。
遊び心のあるファッションを楽しみたい。
お金はかけずにオシャレに見られたい。

これらの感情は全て、人生を豊かにしてくれる素晴らしいものだと思う。私自身、何度も思ったことがある。なんせもともとオシャレになりたくて自問自答ファッション講座を申し込んだのだから!

しかし今の私にはどれもしっくりこない。

今の私の気持ちはというと、なんかもうとにかく着飾ること全般が違う。植物のように、ありのままの状態で畑から生えてたいのだ!!!!
(都会の妖精になりたいとか思っていた自分は一体どこへいってしまったんだ!)

植物は品種ごとに個性はあれど、自分の美しさ以上に着飾ったりしない。おめかししても、朝露程度。私もありのままでいたい。

人間のありのまま、それってつまり裸だ。

そうだ、私はこれから、裸で生きたい!


…ではもちろんなくて、
"裸になっても身につけていたい"、それくらいの物しか買いたくないんだと思った。

さて、そうとわかれば早速、青空の下、裸で土の上に立っている自分を想像した(※もちろんそれが当たり前の世界という設定で)。

その時に私は何を持っているだろうか。何でアイデンティティを主張するだろうか。

夫との結婚指輪はしていたい。正直それくらいかもしれない。運命のバッグと靴も身につけていたいけど、移り行くものという気もする。

ということは、それ以外の今の持ちものはある意味さほどこだわりがないわけで、これからは裸でも持ちたいと思えるくらい自分の魂に合ったものか、それらを引き立てる、シンプルで自分の体型に合っている質の良い服しか買わなくていいんだろうな、なんて思った。


・誓いの浄土リング購入


そんなことを考えていたある日、片目がものもらいになってしまったので、職場の近くの眼下に行った。

そこは受付の方から看護師さんまで、全員が明るく親切で優しかった。5〜6人もスタッフがいれば一人くらい怖い人が居そうなものだがこの病院は全員が天使の様だった。その状況に私はとても感動した。私もこんな人になりたいと思った。

実はこの眼科に行くのは一年ぶり二度目で、久々すぎてすっかり忘れていたが、そういえば前回も同じことに感動したのだった。それで、当時もともと考えていた医療事務の資格の勉強をしたいという気持ちがさらに強まったのだった。(結局やらなかったけど…。)

私は彼女たちを見てハッと気が付いた。

私はこのところ、アイデンティティとファッションについて日々考えていたけど、彼女たちは職業柄全員似たような制服だし、マスクもしていてメイクはほとんど見えない。それでも各々、優しさがにじみ出ている。

そうだ、私の場合、ファッションは関係ないんだ。
どんな見た目をしていようと、小さな浄土を創るために必要なのは綺麗な魂なんだ。

この気づきを、忘れたくないと思った。

また、これとは別に、妊娠しながら通勤する日々の中でも、忘れたくないと思う気持ちがあった。

私は先日こんな記事を書いた。


子が無事に生まれてくるまで妊娠のことを書くのがとても怖かったので詳細をぼかしていたが、実はこの記事の"親切にされたこと"というのは、買い物帰りの電車で、高校生か、もしくは大学生になったばかりくらいの若い女の子に席を譲ってもらってしまったことなのだ。

その日は、何かあった時のためにバッグに妊婦マークをつけてはいたけど普通に買い物ができるくらい元気で、席を譲ってほしいとは思っていなくて、なので座っている人からはあまり見えない位置にマークをつけていた。それに、その頃はまだほとんどお腹は出ていなかった。

それなのにその子はおそらく私の妊婦マークに気づいてすぐに、明るく笑顔で「席どうぞ!」と立ち上がってくれたのである。それが私の初めての"マタニティマークで席譲られ体験"だった。

元気そうで、お腹も出ていない私に、私よりずっと若い女の子がなんのためらいもなく親切にしてくれた…。なんて明るい日本の未来…、いや、現在……。長時間乗る電車だったので、お言葉に甘えてありがたく座らせていただき、私は心の中で号泣した。というか実際にちょっと涙ぐんでいた。

その後も、毎日の通勤電車で沢山の人が親切に席を譲ってくれた。中には優先席ではないのに声をかけて譲ってくれる人もいた。

私が妊娠中であるように、みなさんいろんな事情があるから、たとえ優先席に立っていても座れることが当たり前じゃない。

そんな中での親切な方々の優しさが本当にありがたくて、譲ってもらう度に、私も健康体になったら、困っている人に積極的に席を譲れる人になろうと決意するのだった。

これらの気づきと決意は、私の人生において大変に重要なので、忘れたくなかった。買い物の言い訳といわれてしまったらそれまでなんだけど、何か見える形にして残したいと思った。

引用した記事に書いた"初譲られ"の日に出会ったネックレスは、デザイン的に、この先何年も、かつ365日TPOを気にせず付けられるものではなかったので(そもそもネックレスが苦手だし)、実際に毎日つけている結婚指輪のような物を買おうと思った。

数ヶ月前に、JJGってジュエリー好きの方が多いけど私はその世界の楽しみを何も知らないな、教養程度に知りたいなと思って、こちらのジュエリーの本を買って読んでいた。そこからの知識で、どうやらエタニティリングというものが大変使いやすいらしいというのはなんとなく覚えていた。


私は指輪はもともとしない派で、結婚指輪が初めての毎日つける指輪だった。指を盛るなら全指に結婚指輪をしたいと思うくらい、立体的で繊細な指輪をつけるには気合いが必要な性格なので、エタニティリングはちょうどいいかもしれないと思った。

親切で善良な人々の瞳の輝きと、ダイヤモンドのきらめきを重ねて、彼らの魂の輝きを、毎日指先に置いておこう。これは間違いなく、裸でも身に着けていたいものだ。そう思って、エタニティリングを購入することを決めた。

検討の結果、値段や利便性から幅細めのハーフエタニティにした。結婚指輪に重ねてつけることが多い。ダイヤなんて興味なかったし、今も別にうっとりまではしないけど、小粒でありつつも連なるダイヤのきらめきは飽きの来ない、とても美しい輝きだなと思う。手元が目に入るたびに、生き方を見つめ直している。良き買い物をしたと思う。


・愚者であることを認める


今回、ジュエリーを買ってまで優しい人になるという決意をしたが、優しい人ってどんな人だろう。

実は私はこれまで優しい人、親切な人であることを意識的に避けてきた。なぜかというと、世の中、そういう人は損をすると思っていたからだ。

人間は綺麗な心の持ち主ばかりじゃない。だからそんな世の中でバカを見ないように、人の心の裏を読めるような人でなくてはならない。そういう考え方が自分の中にあった。

でも、いざ人とコミュニケーションをとると、私は良い人であろうとしてしまうのだった。そういう自分のこと、本当は優しい人間なんだな、なんて思っていた。

しかしこの度、本気で親切で優しい人になろうと試みてみた結果、よくわかった。

今までのそれは優しさじゃなかったのだ。
いや、優しさがゼロだったとまでは言わないが、それの内訳の大半は、嫌われたくないという不安や恐れ、良い人に見られたいという見栄、保身だった。

自己保身のために物腰柔らかでいることは簡単だが、本当の意味で優しくあることは(それも毎日)、とても勇気や努力がいることだった。

優しさにもいろいろある。厳しさに出る人もいる。寡黙さに出る人もいる。自分のために、表面的な優しさしか提供してこれなかった愚か者の私は、今後、芯のある優しさを持てるだろうか。

この先どれだけ頑張っても、私は本当に心の温かい人にはたぶん、なれない。でも、この指輪を買ったからには、そういう愚かな自分を恥じつつも認めて、努力をしていきたい。それが今の私の心からの望みなんだから、頑張るしかない。生きているうちに、少しでも、浄土を大きくできますように。

信じないことが信条🍤