待ってるだけじゃ始まらない。凡人が小説で趣味の域を超えるには
小説投稿サイトやTwitterなどを見て常々思うのは、「すげぇ書き手の人たちばかり」ということだ。
一文一文に繊細な想いがこめられた恋愛小説。
一見怖いのに読んだら思わず笑ってしまうホラーコメディー。
最後に秀逸などんでん返しのあるミステリー作品。
読み終わるといつも思わず、「この方は天才でぇす!」と富士山頂から叫びたくなってしまう。
この世は前後左右上下どこを見渡しても天才にあふれている。
それをよく知っているからこそ思う。
「凡人の私が小説で食べていくなんて一生無理じゃね?」って。
私はここ5年ほど、小説を書いている。
最初はとある作品の二次創作からはじまり、その後スランプに陥って書くのをやめたり虚空を見つめたりした期間があったので、実質3年くらいの感覚だ。
いちおう、小説のお仕事もしているし、創作の収入がゼロというわけではないけれど、定期収入にはほど遠いし、名前が出るわけでもない。
だからやっぱり書いている以上は人並みに夢がある。いつかこれがどっかの編集部の目に留まらないかな〜! 書籍化とかいいな〜! とか。
でも私のSNSアカウントは常に閑古鳥が鳴いている状態であり、来るDMといえば怪しいお色気アカウントのLINE勧誘か、小説のあらすじを考えたので読んでくれという涙ぐましいメッセージくらいだ。なぜ私に。
前述の通り、この世にはすばらしい才能にあふれた書き手さんが死ぬほどいる。おもしろいストーリーを生み出す構成力、細部をうつしとる描写力、アイデアを形にして書き続ける創作胆力、クオリティーの振れ幅がない安定力、自分の作品を愛し冷静に評価できるメンタル力……。
プロ作家に必要な能力すべてを兼ね備えた方々の前では、私など到底足元にもおよばない。だから、待てど暮らせど連絡なんぞ来るはずもない。
では、自ら行動して運をつかみとっていくことは果たして可能なんだろうか。
待ってても何者にもなれないと悟った私は、2つの試みをはじめた。
1. 「小説書いてます!」とまわりに宣言した
私は書くのが好きすぎてライターに転身した人間だ。でも、仕事で書くコラムやインタビュー記事と、隙間時間に書く小説はまったく別物としてとらえていた。
いつか小説を仕事にしたいとは言いつつも、大々的に公表するのはなんとなく恥ずかしいというかなんというか、自分の頭の中をさらけだして裸ん坊にするような感覚があって。
だから、ライターの勉強をするために入会したSHElikes(キャリアスクール)のTwitterアカウントと、創作物を呟くために用意したアカウントは完全に分けていた。
でもある日、創作仲間とエッセイの話になったときに、その人が言った。
「エッセイって、人に見せるの恥ずかしいんだよねぇ」
投稿サイトに小説をバンバン投稿している人の思いがけないセリフにびっくりした。
そうか、なにをどう恥ずかしいと思うのかは人それぞれなんだ。
ということはだ。私が小説を見せるのを恥ずかしいと思うのも、人に見せたら笑われるんじゃないかと思っているのも、もしかしたら勝手な考えなんじゃないか?
ちょうど、アカウントを2つ運用していくのにめんどくさ限界を感じていたこともあって、まずはアカウントを創作のほうへ統合することにした。
SHElikes受講生であるシーメイトさんたちは、とつぜん小説アカウントに誘導されて、さぞびっくりしたことだろう。しかもなにげなく繋がったらポエムみたいなツイートが流れてくるから、もしかしたら引いちゃったかもしれない。
それでも、私は統合したことを後悔していないし、あのときの自分の選択をほめたたえたいと思っている。
そして3月、登壇させてもらったSHElikesのイベントで、ついに「小説を書いてます」と恥ずかしながら公言した。
すると、意外と「実は私も書いていて……」「いつか絵本をつくりたくて……」という方に何人か遭遇した。いるやん、お話書きながらキャリアチェンジを目指している人、いるやん。
2. いろいろな人に作品を見てもらった
アカウントを統合した最初のころは、シーメイトさんに見られていると思うと、キレイな作品を作らねばならない気がして迷走したこともあった。
(「見られている」というのは、「フォローしてもらってるからには見られる可能性が大いにある」くらいの意味です)
いまもその作風の迷いがゼロかというと嘘にはなるけれど、「こういうのがウケるんじゃないか」も「こんなの書いたら嫌われちゃうんじゃないか」も勝手な自分の妄想なのだ。
結局、世に出してみないとどうなるかは誰にもわからない。
「みんな」に好かれることはなくても、100万人に1人くらいは、「好きだ」と言ってくれる人に出会えるかもしれない。そしてその出会いだって、作品を見せなければゼロなのだ。
と、腹をくくって創作にはげんでいたら、いろんな属性の人に興味を持ってもらう機会が生まれた。それまでは同じ創作系の人に読んでもらうことが多かったから(もちろんそれも、ありがたすぎることだけど)、これはアカウントを統合しなければ体験できなかった展開だったと思う。
そして結果的にわかったのは、私はやっぱりパンダにはなれないが、もしかしたらレッサーパンダくらいにはなれるかもしれない、ということだ。
整理券を買ってまで見たいわけではないものの、たまたま行った動物園にいたら「普通にかわいい、うん」と思えるし、なんのおもしろみもないものの、たまに二本足で立つなどして来園者を楽しませることができる。
レッサーパンダに失礼な気もするが、たとえるならそんな感じ。
1と2をやってみて迎えた新たな展開
この春、驚くべきことに、このような珍獣に興味を持ってくださった方々と一緒に商品開発をする機会に恵まれた。
名付けて「小説コーヒー」(仮)。
200字前後の小説とコーヒーがセットになった商品の開発だ。
同じようなものがすでにあることも承知していて、いまそちらとの差別化をはかるために市場調査の真っ最中だ。
さらに、今週からは、同じく小説を書いていることを公言している(私が知る限りでは私以外にたったひとりの)シーメイトさんと、noteの共同運営マガジンをはじめることになった。
私たちが、コミュニティーを通してこれまで経験したことや聞いたことを、新たな視点でものがたりにする。主にふだん文字を読まない人に届けたいから、読みやすい数百字の文量で。2人であらすじを見せ合って、ある程度計画的に運用していく予定だ。
いままで、noteはエッセイのみを投稿するのに使っていたから、私の中ではちょっと新しい試みだ。
フォローしてくださっているみなさん、お騒がせしますが、生温かく見守ってくださるとうれしいです。
どちらも偶然と運が重なり、小さな声を拾ってくださった神様みたいなみなさんのおかげではあるけれど、思い切って「小説書いてます!」と公言しなければ起こり得なかったこと、だとは思っている。
果たしてレッサーパンダは趣味の域を越えられるか。
まだ挑戦段階ではあるけれど、読者をハッキリ意識して、「届ける」作品をつくっていきたい。
才能がないことを自覚したからこそ見えた可能性が、きっとここにある。
そう、信じて。
こんなところまで見てくださってありがとうございます! もしサポートをいただけましたら、わが家のうさぎにおいしい牧草を買います!