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インド人を右に!

 今月は本当は博物館レポをするつもりだったのだが、多忙と怠惰が重なり、頓挫。やむを得ず、PCにあったソ連車の写真でお茶を濁すことにした。
月1回ペースを維持するには、こうするしかなかったのだ。

…気に食わない手段だったがな…
…おかげで、いまはいい気分だぜ…

悟空「……ほんとうにそうか?」


 ソ連の自動車産業については、その特殊事情を詳述できるほど私は詳しくないが、概ねその評価は芳しくない。生産効率の悪さによる供給不足、低い技術レベル、マイナーチェンジ偏重でモデルチェンジが殆ど行われない、等々。
 とりわけソ連の自動車事情の異様さを物語るのは、新車よりも、中古車の方が高価だったという事実である。新車は申請から納入まで数年を要するのに対し、すぐに供給できる中古車の需要は高かった。

 しかしそれでも、ソ連の自動車産業は曲がりなりにもマイカー文化をもたらし、人々の強い憧れと関心の対象であったソ連国産車は、ソ連人の日常を彩る重要な要素だった事実には心にとめておきたい。

 以下、私が街中や博物館などで撮影してきたソ連車の写真に、若干の解説を添える。

モスクヴィッチ408

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モスクヴィッチはメーカー名ではない。MZMA(後にAZLKに改称)の製造していた乗用車の製品シリーズで、初代はドイツ製のオペル・カデットをほぼコピーしたMoskvich-400(1946年)。しばらくこれをベースに古めかしいボディの後継車種が作られていたが、1964年にデザインを一新した408を生産開始。

よく見ると、右ハンドルであることがお分かり頂けると思う。ソ連は西側への自動車輸出にも熱心で、本車はおそらく英国向けのモデルだろう。概して、輸出モデルは国内市場向けよりも質が良かったとされる。

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時代を感じさせるテールランプ。マイナーチェンジを経て、後継車種ではより簡素なランプに置き換えられた。


モスクヴィッチC-1«Meridian»

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小型の大衆車を専門にしていたAZLKだが、1970年代からデザインと性能の一新を模索し、次々と試作車の開発に取り組んだ。写真はその1つのC1で、従来より強力なエンジンを積み、快適性の向上も試みられたが、結局どの試作車も量産には至らなかった。

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ファストバックスタイルを採用。全体にマッシブな印象。

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左右非対称のグリルからは、スタイルを一新しようという心意気がうかがわれる。

結局、AZLKはモデルチェンジに消極的なままで、品質も低下の一途をたどり、ソ連崩壊後は低価格市場さえ失って急速に瓦解に向かった。ソ連末期には野心的なコンセプトデザインも存在したが、実現する体力はもはや残っていなかった。

モスクヴィッチ-2144«Istra»

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80年代後半に構想されたモデルだが、写真のモックアップのみで終わってしまった。この他にも、モックアップ止まりの車両がいくつか、現在まで残っている。


UAZ-450

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自動車好きにはおなじみ(なのだろうか?)、オールドスタイルを頑なに維持するUAZバンの、最初の量産型はこのUAZ-450。1958年生産開始で、グリルの形状が違うのが、外観上の一番の特徴。UAZバンシリーズの非公式の愛称は、ひとかたまりのパンを意味する「ブハンカ」である。


ZAZ-965

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フィアット600Dを参考に、1960年末から生産が開始された。空冷のリアエンジンは冷却の不具合が多く、走行中にドアが開くという悪癖まであったが、安価なこのモデルの登場は自家用車を熱望するソ連市民にとって極めて重要な出来事であった。愛称は、せむしを意味する「ガルバートゥイ」。

ZAZ-968A

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ZAZ-965の後継であるZAZ-966(1966年生産開始)は、設計とデザインも一新され、より近代的デザインとなった。西ドイツのNSUプリンツを参考にしたとされるが、真相は不明。その966のデザインをマイナーチェンジしたのが、このZAZ-968である。

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966にあったダミーのラジエーターグリルを取り払い、特徴的な装飾を施した。シボレー・コルヴェアの影響も指摘されている。

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先代と同じく、リアエンジン。クロムメッキで縁取りされた後部の空気取り入れ口が特徴で、正面から見るとこれが耳のように張っている。そのため、デカ耳を意味する「ウシャーストゥイ」の愛称を得た。

ZAZ-968M

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968Aを1979年にマイナーチェンジしたモデルが、ZAZ-968Mである。フロントのデザインが変わり、特徴的だった空気取り入れ口が変更され、クロムメッキの部位が減り、テールランプも変更された。これが1979年のバージョンとは驚きだが、他のメーカーも似たり寄ったりである。

GAZ-21«Volga»

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1956年に生産開始されたGAZ-21は、市販されていた中では最も高級な乗用車であったが、一般市民には到底手の届く代物ではなく、多くは国家機関等に納入された。写真のタイプは最も初期のもので、グリルの☆マークが特徴。

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GAZ-21はマイナーチェンジを繰り返し、星マークは早々にオミットされた。

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鹿のオーナメントも、後期生産型では省かれてしまう。

GAZ-24«Volga»

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GAZ-21の後継車種が、1970年に生産開始されたGAZ-24。68年の設計なので、先代から実に12年を経てようやくのモデルチェンジである。本車をベースとした後継モデルは、実に1992年4月まで生産が続いた。写真のように、タクシーとして用いられる事も多かった。

VAZ-2101«ジグリ»

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フィアット124をライセンス生産したものだが、若干の変更も加えられている。ソ連崩壊後も数多く生産された、ジグリ・シリーズの元祖。ジグリとは、生産された工場に近接する丘陵の名称である。愛称は、「カペイカ」。名称の01から、お金の1カペイカ(コペイカ)の連想だ。

LiAZ-677

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ソ連の一般的な市バス。90年代もまだ多く走っており、私も通学などで利用したので、思い出深い。


車好きの方はお気づきかもしれないが、筆者は技術的な事柄に疎いので、自動車の紹介としては中途半端な内容になってしまった。興味はむしろデザインの方に偏っているのが正直なところだ。

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