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第81話 登山は1人でも危険だが、2人でも危険なわけとは〜由布岳山頂ライブによせて〜【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

大自然のいい湯にちょっとの時間つかり、ぼくは次の地へ向かった。

三島君もひまじゃないので、長湯につき合わせては失礼だ。

次なるはかねてから行きたかった久住へ。北九州の友達のふみこちゃんが毎年必ずハイキングに行くという久住高原。

地元の人が好きなくらいだから素敵に違いない。

また、地名が気になる。

「久住(くじゅう)」「九重(くじゅう・ここのえ)」「玖珠(くす)」。

どれ地名もその辺一帯で使われている地名だ。だれが見ても同じ語源だと思うだろう。

地名の成り立ちやいわれを知りたくなる。これぞ九州とぼくは思ってしまう。

ぼくは三島君に久住方面に行く道沿いでおろしてもらう。

「久住方面」でヒッチハイク開始。

92台目。札幌出身の男性、万場さん26歳。

「湯布院まででいい?湯布院にある山に登りに行くからそこまでなら。」

「いいです!ありがとうございます!」

「おれ、レーシングカーが好きなんだよ。走り屋。この辺の道は曲がりがいがあるからいいんだよね。」

そう。確かに車は車高が低かった。でも、いわゆるヤン車ではなく、本物のレース仕様な感じの車だ。

「下手な人がやると曲がる時に遠心力で体が外へ持っていかれるし酔いやすいんだけど、おれの運転では大丈夫だと思うよ。」

「まじすか。うん。全然、曲がり方が違いますね。こんなの初めて味わいます!」

マニュアルのレバーをガチャガチャ言わしてかっこいい。

「どこから来たの?」

 「今日は国東半島からです。」

 「あの辺だと四国からのフェリーが出てるね。おれ、フェリーの仕事してるんだよ。今はオフだから長期休み。おれみたいな仕事は何カ月かずっと働きづめで、その代わりオフも何カ月もある感じ。」

 「そうか。船の仕事ってずっと乗りっぱなしなんですね。」

 「そうそう。おれが乗る船は航路が長いからね。その代わりオフも長い。だから君みたいに長旅しようと思ったらできちゃうんだよ。」

 けっこう旅の話で盛り上がった。

 「ところで、今から登りに行く山、君も一緒にどう?山登り好き?」

 「山登り?あ、はい。好きな方です。え~と~・・・」

「そんな高い山じゃないから君なら登れると思うよ。山頂で君の歌聴いてみたいなあ。」

山頂で歌。それがぼくに火をつけた。

「行きましょう!楽しそうですね!」

「よし。じゃあ行こう!由布岳という山なんだけど、湯布院(ゆふいん)の由布岳(ゆふだけ)ね。1500mくらいかな。今日は別府に泊まったらいいよ。泊まれるところ知ってるから大丈夫。」

「はい!久住はまたの機会にすればいいだけなので、全然いいです。別府に泊まります。」

万場さんは乗せてくれた人というより、どっちかというと同志に近い感覚でいられた。

お互い通ずるものがあり、ぼくも居心地がよかったし、彼も登山に誘ってくれるほどぼくによい距離を感じてくれていたのだと思う。

ほどなくしてぼくらは登山口に着いた。

正面に山頂が見える。 

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「最低限の荷物を持っていけばいいから。あとは車においとけばいいよ。」 

「そうですね!ありがとうございます。」

とはいえ、ぼくは山頂で歌うのでギターは持っていかなくてはならない。もちろんハードケースしかないからハードケースで持っていく。

まさか貴重なギターを裸で持っていくわけにはいかない。 

なのでギター以外の荷物は極力、極力少なくして登ることにした。

「しんどくなったらおれがギター持つから。交代で行こうよ。」 

「そうですね。いや、でもこれは自分で持ちます。何かあったら、いやな思いさせちゃうんで。」 

「そっか。さすがだね。」

「とんでもないです。でも行けそうです。毎日何時間も持ち歩いているので、登山の時間の方が短いですよね。腕の方は大丈夫だと思います。」

「ぼくらなら往復3時間で行けちゃうかもね。」

「はい!がんばります!」

さて、登山開始。だいたいの登山はそうだが、はじめは緩やかだ。

おしゃべりしながら歩いていく。

この日の天気は曇りで、山には靄が漂っている。

平日なのでほかの登山客とは全くすれ違う気配がない。静かでさみしい。しんとした自然の森そのものだ。

ぼくらの足音だけがざくざくとリズムよく放たれる。 

万場さんはおもむろに何かを取り出した。

「このスプレー何か知ってる?」

「何ですか?防水?じゃないですよね。防水だったらしてくればいいですよね。何だろ。」

「これね、熊よけスプレー。」

「マジすか!そんなのあるんですね。」

「山登りは熊が出ないとはいいきれないからね。一応持っていた方がいいと思って。一人で登ること多いし。 

「なるほど。」 

その瞬間、ぼくに戦慄が走った。 

(まてよ。)

いや、熊のことではない。

なんてことはないあたりまえのことを聞いたのだが、この時のぼくには違って聞こえたのだ。 

「熊のスプレーは熊を撃退できる=熊のスプレーは人も撃退できる」

ぼくは心の中で何度も首を振り、この邪悪な考え方をなんども振り払おうとした。

でも離れない。恐れが消えない。

どうしてぼくはこの時こんなことを想起してしまったのか。

それは一昨日、都城で男性にまた襲われそうになったからだった!

ぼくがこの旅で学んだ一番のリスクは、追いはぎに遭うとか、寝てる間に物を盗まれるとか、だれかにからまれるとか、そういうのじゃない。

「男が男に襲われる」ということ!

ぼくはこの時すでに2回も処女をうばわれそうになっていたのだ。

 北海道の知内と宮崎の都城。

 都城の記憶がまだ新しいタイミングで、男性と二人きりになってしまった。

しかも知内のド田舎で言われたのが、 

「今ここで叫んでも誰も助けにこないよ。」

ぼくの脳裏にあの時のことがフラッシュバックしてきた。

ここは靄のかかった、見通しの悪い登山道。他に人は見当たらない。

(ここでおれが襲われても誰も助けてくれないよね。これやばいよね。でも万場さん、そういう人じゃない。そう信じたい。おれはなんて失礼なことを考えてるんだ。)

恐れは人の判断を誤らせる。

でも、ぼくは後悔していた。もうちょっと考えてから登山すればよかったと。男と二人きりになるということは、とてもリスクが伴うのだ。

(山登りの前に都城での話を万場さんにしておけばよかったかな。う~ん。しまった。 

ぼくはそれでも登山を続けることにした。 

もちろん万場さんはそんなぼくの中の葛藤を知る由もないだろう。

ぼくは自分が前になるときは、背後に最新の注意を払い、万が一襲われてもすぐに反応できるように気を付けて歩を進めた。 

道が細くなることが多くなり、だんだん体力のことも気にしてだろう。万場さんが言った。

「SEGEくん、先にどうぞ。」

ギターを持っているぼくのことを考え、ペースをぼくに譲ってくれるということだろう。

でもぼくにはこれも違って聞こえるのだった。

「先にどうぞ=後ろから襲える」 

(やばい。ここで背後をとられ続けたら危険度が増す。なんでよりによって万場さんはそういうこというんだろう!) 

ぼくの心は完全に病んでいる!万場さんがぼくを襲う気まんまんな人に映っている! 

「いえ、先にどうぞ。慣れている万場さんが先の方がいいペースで登れると思います。」

「ああ、そうか。」

ぼくは不信感を持たせてはいけないと思い、言葉に気を付けて答えた。

男性に襲われそうなときに気を付けることの鉄則その一、「相手の気持ちを荒だてさせない」である。

仮に本当に万場さんがぼくを襲おうとしているとしても、彼を怒らせてはいけない。 

もはやぼくは自分の妄想とも、過剰とも言える防衛思考を消せることはできなかった。

「襲われたらギターケースで撃退しよう」などと、イメトレもしていたくらいだ。

あとは何も起こらないようにただひたすら祈るだけであった。

山頂が近づくにつれ、気温はどんどん低くなった 

天気も良くない。 

寒い。 

(今登っているから体があたたまっているけど、山頂で休憩したら冷えてしまう。)

このぼくの旅はそもそも寒さをあまり想定していない。冬は沖縄で越すという設定であり、真冬に適応できる防寒着もないし、寝袋も夏用である。 

だから登山をして初めて思ったのだが、いくら春とはいえ標高の高いところで過ごす装備がぼくにはないのだ。 

これは想定外だった。

ぼくはどこかで買った安い雨用の赤いジャケットを持っていたので、それを防寒用に着ることにした。

そしてぼくらは山頂についた。

「ついたー!!!」 

ぼくは日本二周の旅、初の登山を達成した。いや、初ではなかったか。宮城で「お釜」を見に行ったことがある。

でもあれは山の上だけど車だったか。

ということはやっぱり初登山であった。

1584mの由布岳。標高差は700m以上ある。

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結構な登山だ。ギターを持っての登山。これは自信になる。

「今4度だね。」

「ヤッホーーー!!」

ぼくは叫んだ。

「めっちゃ寒いですね。万場さん、冷える前にやっちゃいます!今からぼくのライブをします!ぜひ聴いてください!」

「お、いいね!」

ぼくは山頂の頂上標の脇に立ち、なるべく体が温まるようなアクティブな曲にしようと思い、「I go You go」と「MY WAY」を歌った。

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「いいね!」

「ありがとうございます!」

実は2曲歌ったところでぼくはすでに限界を感じていた。寒さで指の感覚がなくなってきていたのだ。 

しかも顔もこわばり、思った通りの声が出しづらい。

(次が最後かな。)

「万場さん、ちょっと寒さで次が限界です。すいません。最後の曲になりますがよろしいですか。」

「いいよ!無理しないで!」

「次の曲は『go as a friend』という曲でネパールで作った歌です。出会ったときはゲストだけど、別れる時は友達でいようねという歌です。万場さんも友達ですね。今日はありがとうございました!」

ぼくは寒さと闘いながら、もはやちゃんと演奏できているのかさえわからない感じだったが、なんとかやりきった。

「ありがとう。これ、もらって。ライブ代。」

万場さんがぼくに渡してくれたのは、5000円だった。

なんてありがたいのだろう。その瞬間、ぼくの中で万場さんに襲われる説は完全に消えたのである。

(やっぱり万場さんはいい人だった。そりゃそうだよね。そんなことするわけないよね。)

気温4度の中ぼくは3曲を歌い切った。実はこれはぼくにとって貴重な基準となる。

「この寒さでは3曲が限界」と知ることで、この先、外で演奏するときに、「今ならここで何曲やれるかな」「体あっためてから行こう」とか、そういう判断ができるからだ。

それにより、ぼくは博多ならぎりぎり12月までならストリートができるなということがその後分かったのである。

ぼくらは記念撮影をし、平穏に下山した。

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ぼくはこれをきっかけに日本二周の旅中の登山に味をしめ、その後もいろいろな山に登ることになるのであった。

 

ただし、やはり1500mのギターを持っての登山はかなりきつかった。このギターを持っての登山では、ぼく中では最高記録となっている。

万場さんは下山後ぼくに素泊まりの宿をとってくれた。

「素泊まりで悪いね。野宿よりかはいいでしょ。」

「もちろんです。十分すぎます。」

「おれホームページ持ってるんだけど、君との写真のせてもいい?」 

「もちろんです!」

万場さん、ありがとう!

(明日久住いこうかなあ・・・。襲われなくてよかったなあ・・・。)

つづく

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