第18話 親の第六感は極めて鋭い【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
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象潟から酒田へ。廃液(車のオイル)を運ぶトラック。「危」の字がトラックについていた。
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赤ちゃん付きのドライブ中の女性。デパートでパートで働いている。24歳。酒田から村上へ。
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村上から新潟へ。15tのトラック。青森から名古屋まで行く途中だという。
運ちゃんはめちゃくちゃおしゃべりな人で、めちゃくちゃ女好きな人だった。その話、ぼくを楽しませてくれようとしての話だと思うので、どうか真に受けないで読んでほしい。
・小泊(青森)はかわいいけど、性格が悪い。
・弘前は性格がいい。
・山形はかわいい
・八戸の女はすぐに〇〇せてくれる。「遊び行こ」「いーよー」という流れで。
「女性を口説くときは、印象付けてはしゃぎすぎず、1回目はすんなり帰るんだよ。それでわざと2,3日後に電話する。2回目が勝負だね。」
「おれはわざと女の子が見える道を選んで走るんだよ。そんで必ず上から女をのぞく。トラックは車高が高いから上から見えるんだよ。向こうは気づいてないけどね。あと、車ん中であやしことしてるのも結構見るよ。」
「こんな仕事やってたら、それぐらいしか楽しいことないべ。」
(な、なるほど。それは性格の問題では?おれにはない考えだなあ。)
ほかにも豆知識を教えてくれた。
・対向車がパッシングを2回してくれたら、先にねずみとりがあるという合図。
・「山田うどん」はうまい。サービスエリアでいつも食う。そばカレーを。
・そばを食えば、どの地域の飯がうまいかわかる。
・ガソリンスタンドで看板に「キタセキ」と書いてあるところは、風呂、休憩あり、24時間。
・一般道では時速70km、高速では130kmでスピードカメラにひっかかる。
この運ちゃんの話は嘘か本当かわからないけど、とにかく面白くていい人で、楽しかった。
しゃべり相手がほしくてヒッチハイカーを乗せるっていう運ちゃんが多いと言っていたが、トラックの運転手って、孤独な仕事なんだなあと感じたものだ。
そしてぼくは新潟についた。9号線を通り、友達がいる新津の駅に降ろしてもらった。15tトラックが、さほど大きくない新津駅に堂々と入っていった。
ぼくは内心(大丈夫なのか?入るのか?)と思っていたが、運ちゃんはどこふくかぜで普通にロータリーに入った。
ロータリーの大きさに似つかわないトラックからぼくは降り立ち、そのギャップに少し恥ずかしさを抱きながら運ちゃんとお別れした。
(これはヒッチハイクした人がトラックから降ろしてもらった感、バリバリだな。めっちゃ注目されそう。でもそんなの気にしない運ちゃん、なんだかかっこいいなあ。)
ぼくは電話した。
新潟には2人友達がいた。まなみとちあきだ。
新津出身のまなみは調布のコンビニでバイトがいっしょだった。専門学校に通うために上京していた。もう専門は卒業していたし、コンビニもやめていたけど、東京に残ってアパレル関係の仕事をしていた。
バイト時代から飲み仲間になり、家も近いし仲良しになっていた。ぼくの彼女もいっしょに飲むような仲間だった。
お盆には新潟に帰るから会えるかもねと言っていたからいるかもしれない。
電話がつながった。
「おれ、今新津にいるんだけど、まなみはこっちにいる?」
「いるいる!夜にならないと帰らないからちあきに電話してみて。」
じゃあちあきに電話。ちあきはまなみの幼馴染で新潟の大学に通っている。時々上京した時に一緒に飲んだりスノボーに行ったり、歌も聴いてくれたりしていたから、ちあきとも友達になっていた。
ちあきにつながった。
「えー!何してるの?!SEGE兄うけるね!熱いね!」
ぼくはその日、まなみの実家に泊めさせていただいた。まなみはお父さんを早く亡くしていたが、その仏壇がある畳の部屋で寝かせていただいた。
何だか落ち着かなかったが、このまなみこそ、今のぼくの妻となる人なのだ。その当時まさかぼくらが夫婦になるとは思いもよらなかった。
この後再び御実家に参らせていただいたのが、結婚の申し出をする時であり、それは10年後のことだった。
そして結婚を申し出たあとにまなみのお母さんはまなみにこう言ったそうだ。
「旅の途中で泊まりに来た時、いつか一緒になるのかなあと思った。」
親の第六感は極めて鋭い。