宮沢賢治記念館の感想と、宮沢賢治の言葉について

(ご無沙汰しておりましたが、過去に書いた文章の再掲などやりながら、Noteでのアクティビティを上げていこうと思います。宜しくお願いいたします。こちらは9年前にFacebookに書いていたもの。)


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 一昨日のこと、せっかく花巻まで足を伸ばしたので宮沢賢治記念館を見てきたんだけど、これが予想以上に得るところ多くて良かった。唯一にして最高の観光資源であろう記念館行きのバスが休日4便なのも地方交通の現状を体感できて良かった(ポジティブシンキング)。以下感想。


 さすがに記念館だけあって賢治の来歴を多角的に紹介しているんだけど、それをとっくり眺めて思ったことは、賢治のぶきっちょぶりである。地方の名家に生まれた、頭も悪くない、言ってみれば優秀なボンボンだった賢治の、しかしその短い生涯は率直に言って挫折だらけだったのだなあという感じで。賢治は強い理想主義者だったと思うけれど、やはりそれを実現するにはいろいろなものが欠けていたんだと思う。もちろんそれは賢治の資質一つに帰せるものではなくて、古今、理想郷を志向して成功した人なんかひとりもいないのだけれど。 しかも賢治は、武者小路実篤みたく理想の失墜を悟るやとっととトンズラこくような厚かましさも持ちあわせていなかった。
 はっきり言えば、賢治は知的ディレッタントにすぎなかったのではないかと僕は思う。いろんなことに興味を示すものの、それが結実するには至らない、これまた古今たくさん例が取れる話だろう。ところがそれが物好きのボンボンの枠で収まらなかったのは、その差分、つまり現実と理想のギャップを賢治はあのもの凄い言葉で埋め合わせた点にある。
 しかも賢治の凄いところは、こういうしちめんどくさい理想主義者が陥りがちな説教くさい激昂が余り文章に現れ出てこないところ。ほとんどのそう言う文章、例えばプロレタリア文学とか教養小説なんかの多くが時代の洗礼に耐えなかったのに比べて、賢治の(理想はともかく)その言葉だけは確実に残った。ねちっこく息長い言葉からは確かに「かくあれかし!」という主張が至るところから響いてくるのに、驚くほど人間の生理に染み込んでくるものがある。
 あ、コレ、天性の資質だと思った。


 そういう意味では賢治の天才がもっとも截然と現れたのは詩で、あちこち展示を見ながら、この言葉がどこからわき出てきたのかしみじみ不思議でならなかった。
「心象のはいいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり」
 この異常な一節は日本語の詩の一つの極点なんじゃないか。賢治は七五調にも文語文にも依らず詩を書いたけど(例外もあるよ勿論)、あのうねうねとうねる言葉は本当に天性のビートとしか言えないものだと思う。言葉の勘どころは無い人には無いとしか言えない。賢治はあのもの凄い独特なビートに乗せて、絶望的な現実と理想との乖離を埋め合わせるかのように理想を歌った。
 賢治の言葉の源流がどこにあるのか、不勉強でよく知らないんだけど、そういえば、賢治の文学的原点ってどこなんでしょうね。考えてみればわりと不思議な感じがする。鉱物に生物学に法華教に音楽、賢治に影響を与えた文物は多く伝わるけれど、文学青年としての賢治像はなんだか曖昧だ。まったく単独で言葉を紡いだと信じるほど無邪気にはなれないけど。
 読書家で勉強家の賢治のことだ、あんがい新しい言葉の潮流を知悉していたかも知れない。賢治は岩手の片田舎で生涯を終えたけれど、海の向こうではモダニズムがすでに勃興していた。金には困ってなかった賢治、足しげく上京しているし新派劇もお好きだったようだし、あんがい新しい文化をどこかで呼吸していたのかも知れない。
 しかし、一つ根拠無く私見を述べると、賢治の原点になったものは、やはり土地の言葉、花巻の町言葉だったんじゃないかと思う。これはものすごく洗練されたきれいな言葉だ(某朝ドラで有名になったあんなのと一緒にしてはいけない。漁師町と城下町とではそりゃ言葉が違うのだ)。とにかくその自分にいちばん親しい言葉で語ろうとする、思うところを綴ろうとする、そのことを徹底したのが賢治だったのかなと思った。僕なりの理想像化ですが。


 なお、全体的に展示を見ながら思いだされてならなかったのは、ドビュッシーとかヤナーチェクとか、伝統的な韻律から「自分の」言葉を取り戻そうとした音楽家のことだった。我田引水を承知で言うなら、それをやったからこそ賢治は軽々と21世紀にも受容されているのではないかと僕は思う。


 余談。展示を見て驚いたのは、宮沢賢治の国柱会入会が石原完爾と同年だったということ。宮沢賢治もあと10年長生きしていたら、渡満したり八紘一宇にあっさり傾倒したりして晩節を汚してたかもなあ……と改めて思った。ご近所に逃げてきた高村光太郎みたく。理想と現実のギャップを詩歌で埋める段階で本当に良かった。

(2014/8/27記)

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