そしてわたしは今日も本屋で絶望する

本屋が好きだ。こどもの頃から読書が好きで、漫画も雑誌も好きだ。新刊のチェックはあえてネットではせず、わざわざ地元の大型書店の新刊コーナーを回るくらいには本屋が好きだ。

でも、最近、わたしは本屋に行くたびに絶望するようになった。

きっかけは、デジタルデトックスをするために、通勤時間を利用して読書を始めたことだった。長年放置していた積読本を読みつつ、以前より「ちゃんと」本屋を歩き始めると、絶望に襲われるようになった。

地元の大型書店は、入口のすぐ横に新刊・話題の文庫本が並んでいる。話題の文庫は主に前後数か月分のメディアミックス作品で、ドラマ化・映画化された作品の原作小説が陳列されている。山のように積まれた小説。それらを発行する出版社は10以上もあり、新書も並ぶ。さらに奥には最新作の単行本が並ぶ。どの作品もタイトルから興味を惹かれ、表紙デザインも素敵で、あらすじもおもしろい。ついつい目移りしてしまい、予定にはない本を買ってしまうことはしょっちゅうだ。

メディアミックスされるということは、それだけ原作が魅力的だということだ。ただでさえ数多のメディアミックス作品があるのに、その奥にはさらに膨大な数の作品が世に出ている。自分よりも背の高い棚に並んだ小説たちを眺めながら、ある日、こんなことを思ってしまった。

死ぬまでに全部読めないんだよなあ。

こんなにもたくさんの面白そうな本があるのに、生きている間に全部は読み切れない。そう思っている今日にもまた、新しい作品が生まれる。ドラマだって映画だって見たい。本や漫画を買うお金を稼ぐために働かないといけないし、食べて寝ないと生きていけない。

時間は恐ろしく足りない。

そう思ったら、とてつもない絶望感に襲われたのだ。どの作品を読むのか悩んでしまう。悩んでいる時間さえ惜しいはずなのに、どうせならより満足感を得たいと、小説売り場で表紙とにらめっこしながら、腕を組んでしまう。

それでも、本屋に行くことはやめられない。色とりどりの表紙、センスあふれるタイトル、ざっと読んだだけでもおもしろそうなあらすじ、大好きな先生の新作。どう考えても本屋には魅力しかあふれていないのだ。

その中で、自分の琴線に触れるものを選ぶのは至難の業だ。でも、運命の出会いを果たした時の幸福は何にも代えがたい。だからわたしは今日も本屋に行く。そしてわたしは今日も本屋で絶望するのだ。

また、面白そうな作品が生まれている。けれども一方で、こうは考えられないだろうか。

絶望と紙一重の大きな希望が、そこに見えている気がしてならない。

世界は、素敵な言葉と美しい文章であふれている。その一つ一つをすべて吸収することはできないけれど、できる限り触れていたいと、わたしは思うのである。だからわたしは今日も本屋に行く。そしてわたしは今日も本屋で絶望するのだ。

こうなってくると、タイトル回収のエンドレスリピートになってしまうので、ここでおしまいとさせていただきます。

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