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シン・ウルトラマン 20220516

シン・ウルトラマンを観てきた。
ネタバレはしない様にする。

前提として俺は特撮オタクではあるがその9割方仮面ライダーに時間を捧げてきた。
それでも教養的にゴジラやウルトラマンについても基礎的な情報は入った人間である。

シン・ゴジラを劇場で観た時、ゴジラの畏怖に涙してしまった。
ゴジラは災害であり天災であり、ある種の神として存在していた。
人間が抗うにはあまりに強大で、立ち向かったとしてそれを諌める事でしか事態を収めることができない存在であった。
言わば人間対神というひっくり返し様のない抵抗の映画だったと思う。
実際にゴジラは活動を停止するところで話が終わっている。
人類の叡智を集めた結果、一先ずの終着を迎えただけで厄災としてのゴジラとの共存という結末であった。
シン・ゴジラに関して言えば人類がこの地球で存続するという事はそこにある畏怖との対峙から免れないという決してハッピーエンドに終わらない作品だったと思う。

対してシン・ウルトラマンはどうか。
禍威獣という災害が日常化した世界の中で外星人であるウルトラマンという個と人類の邂逅が物語の主軸になっている。
我々人類にはまだ到底ブラックボックスである宇宙からの使者ウルトラマン。
彼との対峙が物語の主軸になっていた。
シン・ゴジラが人類を主役とした物語であるのならば、シン・ウルトラマンは外星人という来訪者からの視点で人類を客体化した正にウルトラマンが主役の物語になっている。
人類を理解したいとひたすらに願うウルトラマンに対して人類は守るべき対象であり続ける事ができるのかという命題を来訪者の目線でウルトラマンが自分に問い続ける物語であった。
シン・ゴジラとの決定的な違いはシン・ウルトラマンが神ではなく痛みを知る個であるという事だ。
その痛みを越えて尚、人類との共闘を選択するウルトラマンに我々人類は応え得る種であるのだろうかという通底するテーマがこの映画の主題であると解釈している。
その結末を記すにはまだ時期尚早かと思うので一旦ここまでとする。

冒頭記述した通り俺は仮面ライダーオタクである。
来年にはいよいよシン・仮面ライダーが控えている。
恐らく今度は善悪に翻弄される人間対人間の物語が繰り広げられるのだと予想している。
物語のスケールで言えばシンシリーズにおいて最も現実に近い物語になる可能性が高い。
一般的に考えればシリーズ物の作品は回を追う毎にスケールが拡大していくものだろう。
しかし、シンシリーズの一先ずの終着点であるシン・仮面ライダーが人類内部の物語になるであろう事は非常に興味深い。
人知を超えた他者との対峙ではなく、思想を持ち対話のできる相手との闘いを敢えてシリーズの最期に持ってくるというのは庵野作品のセオリーから外れている様にも感じる。
それだけに人類に備わった希望、あるいは絶望をどのように描くのか今から期待が膨らむばかりだ。

長くなったがシン・ウルトラマンに関しては作品としての粗は少なからずあるものの、ウルトラマンという地球外の他者を描いた物語として自分自身の記憶に長く刻まれる作品である事は間違いない。

最後に主題歌を担当した米津玄師について。
M 八七という楽曲がこの作品の総轄としてこれ以上にない程素晴らしかった事を記しておく。
痛みを知るただ一人であれ。
この映画の全てを集約したその詩に涙せずにはいられなかった。
彼は本物の天才なのだろう。
ともかく素晴らしい主題歌をありがとうと心の底から伝えたい思いである。

今日はここまで。

米津玄師 / M八七

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