最新号から岡野大嗣さん・木下龍也さんインタビューの未公開部分をご紹介!①

こんにちは!Seel編集部です。

先日発刊されたSeel Vol.34「現代短歌」では、歌人の岡野大嗣さん・木下龍也さんにインタビューを行いました。本記事では、誌面構成の都合上、どうしても載せきることができなかった部分を公開します!

本日ご紹介するのは岡野大嗣さんへのインタビュー。

岡野さんは自身の歌集『サイレンと犀』(2014)にて音楽に関連した歌や、淡い挿絵ととマッチした優しい歌を詠まれています。鮮麗な歌を生み出す岡野さんはどのようなプロセスで短歌を詠まれているのでしょうか。そして、私たち「短歌ビギナー」が短歌を詠むうえで大切なこととは…?必見です!


岡野大嗣さんインタビュー

【短歌を詠む際の手順はありますか】

絵にたとえて言うと、ラフスケッチから本描きへ、少しずつ線を選んで輪郭を整えていくイメージでしょうか。ラフのままで完成と感じることもありますし、即興でいきなり本描きに入ることもあります。僕の場合は、特に決まった手順というものはないです。


【短歌を思いつかれるタイミングはいつでしょうか】

電車に乗っているときが7割、町を歩いているときが2割、寝るまえが1割といった感じです。


【字余りについてどのようにお考えですか?私たちのような初めて短歌を詠む人はどのような意識を持って字余りに触れればいいでしょうか】

「5・7・5・7・7」という拍のなかに言葉が機嫌よく収まっていれば、極端な話、5音のところに10音の音が入っていても僕は違和感を覚えません。一方で、「5」の枠にきっちり5音、「7」の枠にきっちり7音、合計でぴったり31音になっている短歌でも、ぎこちない収まりだとリズムがわるいと感じることもあります。こういう自分なりの定型の捉え方の感覚が初めから備わっている人は、音数ベースでの字余り・字足らずをあまり意識しなくてもいいように僕は思います。そうでない場合は、作り始めのころはやはり5・7・5・7・7の枠組みに対して音数が大きくはみ出ないように意識して作るのが良いのではないでしょうか。まずは型を守るところから修行が始まり、その型を自分のやりたい型と照らし合わせて研究し、いずれ型から離れるといった「守破離」の考え方が、短歌にも適用できると思います。


【短歌のプロがいる中、一般人が気軽に短歌を詠んでいいものでしょうか?またもし短歌を詠む場合に一般人が意識するべきことはありますか】

まず、「短歌のプロ」としてイメージする対象は、おそらく人によってさまざまに異なります。「とにかく上手い人」「先生として教えている人」「新聞で選者をしている人」「短歌で生計を立てている人」「賞をとったことがある人」「歌集を出版したことがある人」など。その定義によって、回答の内容は変わってきそうです。僕について言えば、「短歌のプロ」の定義を考えたことも意識したこともありません。
ただ、一般的には「プロ」と聞いてイメージするのは、「技量やマインドがアマチュアより明確に上」とか「その分野で稼いで生計を立てている」あたりでしょうか。そのあたりをいったん「プロ」の定義として捉えておいて、質問文の「短歌のプロがいる中」をたとえば「音楽のプロがいる中」「絵のプロがいる中」あたりに置き換えたときに、プロでない人が気軽に「音楽を作ってはいけない」「絵を描いてはいけない」なんてことは全くないと思いますし、短歌についても同じ考えです。

短歌のプロと一般人の差があまりわからないので、「短歌を詠む場合に一般人が意識するべきこと」も回答するのが難しいですね。短歌に何を求めるかによっても変わってくることなので、「べき論」では示せないと思います。自分の作歌について言えば、短歌にしようとしている内容がフィクションであれノンフィクションであれ、「自分自身が真実だと思えるかどうか」というのは意識するようにしています。


【『玄関~』を読んでお二人の歌は同じような空気感の中でもどこか対称的に感じました。お二人はお互いの歌についてどのような印象を抱いていらっしゃいますか】

「同じような空気感」を感じる理由は、『玄関~』全体に「初夏という時季」「どことなく不穏な雰囲気」といった通奏低音があって、それが一首一首の短歌を読むときにもぼんやりと聞こえているからだと思います。「対称的」だと感じる理由は、『玄関~』において僕の書く短歌と木下さんの書く短歌の主体が、ざっくりとですがキャラクター設定されていたからだと思います。見た目や言動や対称的でありながら、心の奥深くに重なる部分もある。そんな二人をイメージしていました。


【初心者が短歌を詠む際のコツなどはありますか】

僕自身が、作り始めた頃から初心者という意識で作ってこなかったのでコツというものは示せないのですが・・・、技法的な話よりも、つくる動機の有り・無しのほうが大切だと考えています。「心が動いた瞬間をやり過ごさない」といったところでしょうか。心が動いていないのに無理に作っても、歌にはならず、ただの31音の文字列にしかならないと思います。


【『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ*』という作品集をお二人で出していらっしゃいますが、お互いに意識されていた点やルールなどはあったのでしょうか】*:木下さん・岡野さん共著の歌集

お互いの決めごとは特にありませんでした。僕について言えば、木下さんの歌を受けて無理にストーリーを作らないように、というのは心がけていました。余計な意味をなるべく与えないようにしたいと考えていました。


【『玄関~』は装丁にもこだわりがあるように感じました。このアイデアはどのようにして生まれたのでしょうか】

カバーと本体の両方に写真を使うということは決まっていたので、写真を2枚選んで、あとはデザイナーの大島依提亜さんに委ねました。誰の部屋でもない、でもどこかで見たことのあるような。匿名性の高さゆえの普遍性を備えていて、そこが僕と木下さんの短歌の特徴とも重なっていて。刷り上がって実物を手に取ったときは高揚しました。静止画なのに、カバーを動かすとカーテンが揺れて透けて、動画のように楽しめる。何を言っているのかわからないと思うので、ぜひ本屋さんで手に取って試してみてほしいです。


【岡野さんの短歌はやさしい言葉が特徴的だと思いますが、描かれている情景は穏やかに、しかし確実に読者の心に刺さり残っているように感じます。このように言葉や情景を作り上げていく上で、今までに音楽以外にも影響を受けられたものがあれば教えてください】

自分が見てきた光景、過ごした時間のすべてです。自分が居合わせたことがない光景や時間なのになぜか覚えのあるような、そういう情景を描いている表現には惹かれます。柴崎友香さんの小説や渡辺ペコさんのマンガには影響を受けていると思います。


本編ではより内容たっぷりで岡野さんの短歌への考え方などをお伺いしています。是非お手に取ってみてください。明日は木下龍也さんへのインタビューをご紹介します!

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